ピアノの功罪

 ピアノというのは考えてみると実に面妖な楽器だ。


 楽器の中に大量の弦が用意されていて、鍵盤を押すとハンマーが弦を叩く。


 鍛冶屋がずらりと並んで鉄を鍛えているようなもので(標準的な鍵盤数なら鍛冶屋88人だ)、妙齢の女性がショパンだのサティだのを聴きながら「素敵……」とうっとりしているまさにそのとき、実は楽器の中では大勢の鍛冶屋がうりゃっ、おりゃっ、わりゃっ、とハンマーを振り下ろしているのだ。


 考えようによっては随分乱暴な発想の楽器なのだが、精緻に動くように機械的な工夫と調整がなされている。
 過去数百年の楽器職人達の執念には、恐るべきものがある。


 ピアノにはいろいろと功罪があるようにも思う。


 功のほうはもちろん、たくさんある。


 あれだけの広い音域をひとりでカバーできる楽器というのは、ピアノやオルガンなどの鍵盤楽器を除いて他にあまりない(電子楽器は除く)。


 一方で、広い音域をカバーしながらも、半音を同時に鳴らすということも、いとも簡単だ。
 例えば、ギターの場合、半音違う2つの音を同時に押さえることはできるが、3つ同時に押さえるのは調弦を変えない限り、まず無理だ。
 ピアノなら、鍵盤を3つ押さえればいいだけのことである。


 それから、音と音の関係を捉えやすい、ということもある。


 例えば、ドミソの和音を押さえるとすると、



 こうなる。



 指と指の間を、3つと2つアケれば、ドミソの和音、あるいは長和音(メジャーコード)になるということが、視覚的に捉えやすい。


 西洋音楽の、特に“クラシック”と呼ばれるタイプの音楽で音楽理論が複雑に発達したのには、ピアノが普及したことが大きかったのではないか。鍵盤を“見りゃわかる”のである。
 数学で、数式だとわかりにくいことでも、三角だの円だの、幾何にすると捉えやすくなる(こともある)のに似ているかもしれない。


 もしピアノに代表される鍵盤楽器が存在せず、バイオリンやチェロのような弦楽器と、管楽器と、打楽器しかなかったら、果たして交響曲なんていうもの凄いものが登場したのかどうか。すこぶる怪しいと思う。


 一方で、ピアノが見捨てたものもある。


 例えば、ピアノでビブラートをかけることはできない。


 あるいは、琵琶法師の琵琶の「♪ペロン〜、ペロンペロン〜」なんていう揺れ動く音は鍵盤では捉えにくい。
 あえてピアノで視覚的に説明するなら、こういうことだ。



 音楽というのは、本来、白鍵黒鍵の12音階で成り立っているわけではない。いろんな微妙な高さの、しばしば揺れ動く音で成り立っている。


 しかし、あたしらは(いっしょくたにして申し訳ない)、だいぶピアノ的頭になってしまっているから、揺れ動く音のことをちょっとないがしろにしてしまいがちだと思う。
 琵琶法師の琵琶を無理にピアノ的頭で捉えようとしてしまったり。もしかすると、音楽体験を自分で狭めてしまっているかもしれない。


 いい例が、MIDIという音楽用のデジタル規格で、あれは簡単に言ってしまえば、音色と音程と音量と音の出るタイミングと音の長さを指定すれば、音楽は成り立つ、という考え方に基づいている。


 それでもって、MIDIで音楽を作る人、というのがいて、たまたまどこかのウェブサイトに行ったら、突如として、MIDIで作った大ざっぱな(いっそ、無神経な、と言いたい)曲が鳴り響き、焦る、なんてことが起きるわけだ。


 まあ、こういうことは、ピアノの罪というより、ピアノ的頭だけになってしまうマズさ、と言ったほうが正しいんだろうが。


 音楽にあまり興味のない人には、わかりにくいことを書いてしまった。ええと、小唄はいいヨ、ってことです。あと、MIDI、死ね、と。


 ♪ペロン〜、ペロンペロン〜。

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘四百九十八 音楽は世界語だが、残念ながら、方言の違いが大きすぎる。