森 毅の「数学の歴史」(講談社学術文庫、ISBN:4061588443)を読む。
これほど内容を理解せずに一冊読み通した本も珍しい。
例えば、
関数族については、収束概念の分析をすることは、表面的にはドイツ解析学の論理主義的伝統の継承ではあるが、ルベーグの積分論以後は、それは新しい局面にはいる。ルベーグ自身、関数族の順序構造(それは、集合族の包含関係による順序構造の反映でもある)の収束概念への影響についてのイタリア学派(ディニやアルツェラ)の研究を集約することによって成功したものだったが、それは個別的な関数の積分に関する議論というより、積分可能な関数の族が対象となることにその理論の特性はある。
などと言われても、わたしにわかるのは「ルベーグさんもいろいろ大変だったんだな」というくらいである。
それでも何とか読み続けられるのは、合間、合間に入る数学者伝が面白いからで、例えば、こんなのがある。
タレス Thales 624?〜547?BC
≪汝じしんを知れ≫というスローガンをかかげた人物、としても知られている。かつて天体を観測し(紀元前五八五年の日蝕予言は人類最古という)、宇宙の神秘に我を忘れ、ドブにはまったという逸話がある。
数学の壮大な歴史や、社会、政治、時代精神と数学の関係などまったく解さず、単に「コケ」を喜んでいるわけで、我ながら何ともナサケない。
あるいは、こんなのもある。
リーマン George Friedrich Bernhard Riemann 1826〜1866
このリーマンの講演を聞いて、七十七歳の大ガウスは珍しく昂奮し、帰途にドブにはまったという。
数学者というのはよくドブにはまるものなのだろうか。
数学の心得のある人は、タレスと大ガウスのドブにおける相似・相等、あるいはドブにはまる数学者の集合論的パターンと確率論的把握について、ぜひ研究していみてただきたい。