大数学者は、思考に没頭するせいか、あるいは凡人とは異なった物を見ているからか、そもそも頭の構造が違っているのか、変わった人が多いようである。
アルキメデス Arkhimedes 287?〜212BC
浮力の原理を入浴中に発見して、感激して裸で外へ飛び出した、という伝説は有名である。シチリアがローマ軍に攻められたとき、シラクサ落城のさいに殺された。プルタルコスによれば、≪アルキメデスは自分の家で、図形を見ながら何か考えていた。心も顔もその研究に注いでいたので、ローマ軍が侵入したことも町が陥落したことも気づかなかった。突然、ひとりの兵士がそこに来て、アルキメデスに来いと命令したのに、その問題を解いて証明を得ないうちは立とうとしなかったので、兵士は怒って剣を抜いて刺し殺してしまった。≫
ヴァイエルシュトラス Karl Weierstrass 1815〜1897
一八五六年にベルリンにうつるまでは、田舎のギムナジュームで、地理と習字と体操を教えていた。この校誌に書いた論文が、鉄棒や平行棒についてではなくて、楕円関数の発展の追求であり、彼が数学者であったことが始めて知られるようになった。
ヒルベルト David Hilbert 1862〜1943
数論から始まって、関数解析から基礎論と、多くの分野で二十世紀への通路を開いたのだが、あまりに多くの分野にわたったので、かつて自分の切り開いた分野の基本定理すらわからなくなってしまったという。ある日客が来たので、ネクタイをとりかえに自室に入り、ネクタイを外すとその習慣にしたがってベッドにはいって寝た、という逸話は有名。
天才(なのだろう。知らんけど)が変人であった、という話は座りがよい。
そして、変人の逸話は――何せ、身近にいて迷惑かけられるわけでもないし――面白い(その中には、いくらかは天才に対する畏敬も含まれるだろう)。
しかし、まあ、彼らの業績なり、数学上で格闘・奮闘した大問題なりには目を向けずに(向けても理解できないのだが)、失敗談なり奇人ぶりばかりをヨロコんでいるわけで、いささか申し訳ないことではある。
大数学者はドブにはまるかもしれないが、ドブにはまれば大数学者というわけではないのだ。
それが証拠に、わたしはこれまでの生涯において、大ガウスよりもはるかに多くドブにはまっているはずである。
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嘘二百五十四 元禄時代、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかった事件は、当時、「松の廊下の逆ギレ事件」として大いに馬鹿にされたという。