そういう方向で

 会社の会議に出席して、こういうセリフを聞いたことのある人は多いんではないか。


「では、そういう方向で進めてみますか」


 結論のようでもあり、逃げ道を用意しているようでもあり、日本語の会話に多い単なるぼかす表現のようでもあり、反対しそうな誰かの顔を思い浮かべているようでもあり、何とも曖昧なセリフだ。


 新人の頃に初めて議事録を担当すると、書き方に悩むセリフでもある。
 しかし、人間の適応力というのは大したもので、これを読んでいる新人社員諸君よ、やがては状況に応じて、何となくサバけるようになります。ええ。どれほど意味のあるスキルなのかはわかりませんが。


 恐るべきことに、この「では、そういう方向で〜」の類の結論(?)が会議のたびに連続することがあり、さらに恐るべきことに、それで何となく物事が進んでいく。
 誰がいつどういう意思決定をしたのか曖昧なままに、「空気」で物事が進む。しかも、それでもうまくいく。こともある。


 効率が悪いような、一方で安全弁が働いているような、曖昧なプロセスである。あるいは、全員に責任を分散するような、裏返せば誰も責任をとらないような、あいまいな日本の力学なのだろうか。
 ここいらが、あの議論としてはやや不毛な感もある日本的企業論のキモかもしれない。


 って、わたしも、「ここいら」だの、「やや」だの、「感もある」だの、「かもしれない」だのと、曖昧な書き方をしていますが。


 あくまでわたしの経験上の話だけれども、日本の企業では、誰が権限を持っているのか明確でない、あるいは権限の持ち主を明確にしても、それをぼやかしたりなし崩しにしたりする傾向があるような気もしないではない感じがするようにも思うのだが、イズ・イット・コッパー、どうであろうか。


 欧米系の企業――というのも乱暴なくくり方だが、いわゆるバチバチの「外資系」的企業(中国系、韓国系も外資系なんだけど)の会議で、「では、そういう方向で進めてみますか」という言い方はどれほど出るのだろう。


 わたしのような顧客商売をしていると、「では、そういう方向で進めてみますか」調の感覚が濃厚な企業は曲者である。
 かなり仕事が進んでから、うかがい知れない社内事情でひっくり返されることがよくある。


「社長を出せ!」と怒り狂いたくなるのだが、「ワシじゃが」と本当に社長に出てこられたら慌てふためくであろうこともまた、確かである。


▲一番上の日記へ

                  • -


「今日の嘘八百」


嘘二百四十六 朝鮮中央テレビのアナウンサーは気張りすぎて、放送が十分を越えると泡を吹くらしい。