人間国宝、文化功労者

 人間国宝と呼ばれる人々がいて、重要無形文化財を保持すると認定された者をいう。


 なかなかややこしいのだが、重要無形文化財というのはあくまで技芸のことであって、それを会得している人を、俗に人間国宝と呼ぶ。あくまで俗称であって、正式名称ではない。
 法律上はあくまで重要無形文化財、つまり、技芸のほうを重視するらしい。その人自身を褒め称えているわけではなく、「あー、あなたのお持ちの技芸は先達から受け継いだ大変に結構なものだから、後世にもきちんと伝えなさい」という意味で指定するようだ。


人間国宝 - Wilipedia


 ということは、だ。重要無形文化財であるからして、勝手にその保持者がいじくってはいけない、ということになる。


 例えば、落語界では、亡くなった五代目の柳家小さんと、現在は半ば夢の世界で遊んでいらっしゃるらしい桂米朝人間国宝、すなわち、重要無形文化財の保持者と認定された。
 彼らが、芸を崩したら、あるいは前衛に目覚めて、今までの芸を否定したらどうなるのか。


 例えば、小さん師匠が「こんな古風なやり方じゃあ、現代に通じねえ」などと考え始めて、突然、「どうだい、八っつあん、ってんで、チンピョロスポーン。舞台から落っこちて、『あ、落伍者』。大変なんっすからもう。ホント、体だけは大事にしてくださいよ。山のアナ、アナ、アナ、アナ。股間のソンブレロが下に落ちませんでした。ヤダネー。荷ダネー。あれは破門したんだが、目先の笑いがほしいもんだから。ってんで、これが三日帰ってこない。あるメキシコの町で起こった世にも不思議な物語。ジャカ、ジャン♪ エー、できますものは、つゆ、はしら、たら、こぶ、志ん生のようなもの。ナーンデカ! よそう、また夢になるといけねえ」などとやり出したら、これすなわち、文化財の破壊ということになったのか(どうでもいいけど、現代に通じさせるにしては、ネタが古い)。


 一方で、文化功労者というのもいて、こっちのほうは技芸でなく、本人を褒め称えるもののようだ。芸術、芸能のほか、学問も含まれる。


 文化功労者文化勲章の関係にはややこしい経緯があったようだけれども、現在は前年度までに文化功労者に選ばれた者の中から、文化勲章の受章者を選ぶらしい。


 でまあ、それはそれで、然るべき方面で然るべくやっておいていただきたい、と思うのだが、文化というのは、何も学問や伝統芸能やリッパな文学・芸術ばかりではない。
 むしろ、そういうものばかりだと、息苦しくて、世間はやってらんないだろう。


 というわけで、サブ文化功労者、サブ文化勲章というのを設けたらどうか、と考えた。
 言葉の通り、日本のサブカルチャーに貢献した者を顕彰するのだ。ただし、若くして選ぶと、国が若い世代に取り入ろうとするような感じがして、どうもよくない。ここいらの案配が難しい。


 理想をいえば、60歳を過ぎたあたりから顕彰していきたいところだ。
 しかし、厄介なのは、かつてサブカルチャーとされていた人も、年をとるとそれなりに権威を持ってしまうことだ。裏だったものが表(ハイカルチャー、と呼ぶのか)になってしまうのである。


 例えば、昔の唐十郎なんていうのは、サブカルチャー以外の何物でもなかったのだろうが、今では本人の意識はともかく、まわりが表のほうで扱ってしまう。


 ここいらが難しい。今、渡せるとしたら誰だろう。小沢昭一だろうか。ちょっと違うか。みうらじゅんにはあと10年ちょっと、今のまま突き進んでもらいたい。あとは、白夜書房やたま出版の関係者、なんていうのもいい。


 なお、サブ文化勲章天皇陛下ではなく、愛子様あたりから授与していただく。

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「今日の嘘八百」


嘘五百七十九 マルクスが天国に行くと、階級がなくてガッカリした。しょうがないので地獄に移してもらい、現在も鬼を相手に、元気に階級闘争しているという。