医者にならなくてよかった、と心から思う(なれるだけの学力とやる気があったかは別として)。
特に外科医になろうものなら大変だろう。
「メス。――あやっ」
「あっ。あああー。先生、筋まで切っちゃってどうするんですか!」
「また失敗しちゃった」
「しちゃった、じゃないでしょう!」
「この指がいけないんだ」
「この人、明日から腹筋使えませんよ」
「リハビリ、本当に頑張ってほしい。あ。鉗子落っことしちゃった」
「わ。今、患者さんが笑いましたよ!」
「どこの神経に当たったのかな。あはは」
「あはは、じゃなくて!」
「まあ、今日は“そういう日”だ。とりあえず閉じちゃおう」
「せ、先生、糸がゆるゆるです! 間から血がドクドク溢れてます!!」
というわけで、助かる者も助からなくしてしまう。
もっとも、知り合いの医者によると、外科手術のやり方というのは、個人の器用・不器用に頼るようなものはダメなのだそうだ。
誰でも会得できるようなものでないといけないらしい(それを身に着けたうえで超絶技巧をマスターする人もいるのだろうけど)。
まあ、わたしの不器用さというのは言語道断だから、外科医はやめておいたほうが世のため人のためである。
では、内科医になれば安心かというと、そうとも限らない。
たまたま山奥か離島に行って、誰かが大怪我をする。
すぐに手術しないと命が危険だ! となって、ドラマでおなじみのあのセリフが飛び出す。
「あんた、医者だろう!」
それに対して、
「いや、私、内科医ですから。鼻水が出たときは呼んでください」
と、こう、言い抜けて、さらっと逃げられるものなのかどうか。
想像が想像を呼んで、結局、何が言いたいのか、自分でもわからなくなってしまった。
エー、八五郎出世をいたします。妾馬というおめでたいお噺でございました。
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「今日の嘘八百」
嘘二百四十一 実話系週刊誌は、実は、実は系週刊誌と表記する。