美術館などで、いくつかの洛中洛外図を見たことがあるが、あまり楽しめた覚えがない。
目の前にドーンと置かれると、どこを見ていいか、困ってしまうのだ。
洛中洛外図の類は、だいたい、屏風になっている。
元々は、殿様と寵愛の深い側室や誰かが、畳の上に座って、離れて眺めたり、絵の一部に近寄って見たりしながら、
「ほう。これが御所か」
「ここが、あの有名な八坂神社」
「祇園祭の行われるところよの。一度、見てみたいものよ」
「殿がお出でになりたいのは、おおかた、お祭がおしろいをつけて待っているところでございましょ。わたくしのことなど気になさらず、どうぞお好きになさりませ」
「まあ、そうスネるでない。男子の本懐じゃ。わはははは」
「あら、ここではお馬が餌を」
「ははは。こっちでは足軽どもが殺し合いをしておるわ。うははははははははは」
「わたくし、血は嫌いでございます。こちらは随分にぎやかでございますわね」
「うむ。三条通のあたりであろう。下郎が高瀬川に立ち小便しておる。わはははははは」
「おほほほほほほほ」
などと、京をまわりめぐるように、ゆっくり楽しんだのだろうと思う。
しかし、美術館では人の流れがあったり、他に見るべき絵が続いていたりして、心せいてしまい、なかなか楽しめない。
そもそも、立った状態で、ガラスの向こうにある屏風を見る、という形が、本来の楽しみ方とは違うようにも思う。
まあ、わたしは美術館でもなければ、一生、そういう絵とは縁のないシモジモの出であるからして、目にできるだけでも感謝せねばならぬのだが。
ところで、誰か、日本画の描ける人、現代の東京を洛中洛外図のように描いてみてくれないだろうか。
金色の雲の間から、皇居や東京タワーや六本木ヒルズが見える。青山通りをやけに気取った格好で歩く女もいれば、錦糸町のソープランドにニヤニヤ笑いながら入っていく男もいる。丸の内ではサラリーマンが闊歩していて、新橋では酔っぱらいがゲロを吐いている。歌舞伎町ではヤクザが殺し合いをしている。
とてつもなくバカバカしい作品になると思うのだが。ポイントは、あくまで洛中洛外図の筆致を守ることである。だからこそ、面白さが出る。
いっそ、今の時代だ。屏風ではなく、巨大な画像をネットの中に置き、拡大縮小で楽しめるようにしたらどうだろう。
美大の日本画の先生、学生達を駆使してやってみてくれないか。
もちろん、洒落で。言うまでもなく、絵は大まじめで。