東京国立博物館の大琳派展に行ってきた。10月にも行ったので、二度目である。
展示物がだいぶ入れ替わっていた。
多くの作品を楽しめるのはありがたいことである。
10月に行った折、このブログに、酒井抱一の絵を、その先達とされる俵屋宗達や尾形光琳の絵と引き比べて、こんなことを書いた(id:yinamoto:20081011)。
抱一や其一は、きれいな構図を描ける、精細な線を引ける、色をきれいに付けられる、ということでは、上手いのかもしれない。宗達や光琳が持っていなかった技法も持っていたようだ。しかし、それだけのことではないか。
凄いね。シロウトの怖い物知らずというのは怖い。
改めて抱一の絵を見直してみた。
ねじくれながら、枯れ草とともに身を揺らしている柿を描いた、「柿図屏風」が美しい。実は前回見たときも、この絵にだけは惹かれた。
→ 「柿図屏風」|酒井抱一|The Metropolitan Museum of Art
舌の根も乾かぬうちにまたしてもシロウトの怖い物知らずで書くのだが、抱一には、デパートの上のほうで売っている掛け軸のような、ステロタイプの絵もあると思う。
わたしは、そういう絵を見て、先入観を持ってしまい、それぎり目を閉じてしまったのだろう。
「夏秋草図屏風」。
→ 「夏秋草図屏風」|酒井抱一|Salvastyle.com
これも風の絵。微細な部分、変化を捉えて、見る側の心まで一緒に揺らしてしまう。
“ああ、野で飄と吹かれているワタシ”などと、別の世界へ飛んだ。
この絵、前回もあったろうか。記憶にない。
まあ、あったとしても、目を閉じた人間には物が見えない、ということなのだろう。すみませんでした。