あの世にも粋な年増はいるかしらん
三遊亭一朝という人の辞世の句だそうで、今から自分が死のうっていうときに凄いことを言ったものである。
この句でもわかるように、昔、年増は色っぽいものと捉えられていたようだ。
その道を知らぬわけでもなし、多少の手練手管もあって、色っぽいやりとりなんかもできて、あ〜あ、誠に結構なものだねえ――と、まあ、そこまで感じ入ったかどうかは知らないが、色気、艶、という点では、男から好意的な(好色な)マナザシで見られていたらしい。
わたしはこの、年増の魅力の見直し、ということを世に訴えたい。
実例を挙げよう。わたしが、最もよく年増の魅力を体現していると思うのはこの人だ。
中尾某の奥さんだが、この際、そんなことは忘れよう。
典型的な美形というわけではないが、この人の何とも言えない色っぽさ。いわゆる、男好きのする、というやつである。年増の中の年増、ザ・年増と呼んでいいと思う。
理想を言えば、清元のお師匠さんか何かをしていてもらいたい。
経師屋連というやつで、唄は二の次・下心、男の弟子がやたらと増えるだろう。わたしだって習いにいく。
夕暮れどきになって、赤い日が少しばかり部屋に差す。三味線を弾いていたお師匠さんがふと手を止めて、「あら、イナさん、お袖が」。何だろうと、つと袖を上げると、お師匠さんがその手を捉えて引き寄せ、ほつれた糸を歯でプツッ、含み笑いふふっ――なんてことになったら、どうする、エエっ?!
池波志乃、最近はあまり見かけない気もするが(旦那はヤケに見かける。忘れよう)、半引退状態なのだろうか。いつまでも粋な年増でいてもらいたい。
年増がさらに年をとるとどうなるかというと、大年増に進化する。
大年増といえば、もうこの人にとどめを刺す。そう、 太地喜和子だ。
ちょっと、もう、どうしますか、オトーサン!! という感じである。
池波志乃がザ・年増なら、太地喜和子はザ・大年増である。瀬戸内海にあるのはショウド島である。それは関係ないのである。
太地喜和子は、あの男、この男、あれやこれやと浮き名を流した、なーんて噂がまた大年増らしくて、いい。
昔(江戸時代〜明治くらい?)は、30歳を越えるともう大年増と呼ばれたようだ。
社会事情、教育事情、医療・健康事情の違いもあるだろう、今だと、大年増の年齢はどのくらいだろう。
いや、年齢は関係ないか。年増ならではの魅力、大年増ならではの魅力、というのは確かに存在する。
その魅力は、セックスアピールなんていう乱暴な言葉で語れるものではない。色っぽさ、艶、微妙なくずれ方が大切だ。
んー、しかし、こっちの方向は、最近、流行らんのかねえ。もったいない。
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘二百十七 一寸法師にいたぶられた鬼は、胃炎で、その後、長く苦しんだという。