風邪をひく人が多いようである。


 かくいう私は、1年の3分の1は風邪をひいているという、ヤワを煮染めたような男なので、この季節はだいたい風邪っぴきである。
 なにしろ、「カーッ、ペッ!」と痰を吐きながら、母親の産道から出てきたというザ・リアル・ディール(本物)だ。これも私の背負った業、と半ば諦めている。


 しかし、悔しいことは悔しいので、何とかまわりを巻き込めないものかと悪心を起こした。


 電車で隣へ座ったやつに突然抱きつき、くしゃみと咳を一分間にそれぞれ三千五百七十八回放って風邪黴菌を敵の肺の奥底まで送り込む、という手もある。しかし、何となく、逮捕されそうな気がするので、やめておく。


 せいぜい、ここに、人が不快になることを書き飛ばして、巻き添えにするに留めておこう。


 手法は、いつもの手だ。言葉の検索置換を使うのである。「川(河)」を「洟はな」に変えるのだ。


 まずは、美空ひばり晩年のヒット曲、「川の流れのように」のサビの部分。


 ♪ああ〜、洟の流れのよ〜うに〜
  ゆるやかに いくつも時代は過ぎて〜
  ああ〜、洟の流れのよ〜うに〜
  とめどなく 紙が黄色に染まるだけ〜


 私は、どうやらもう、ダメであるらしい。そのくらいは、自分でもわかる。
 しかし、まあ、自分で書いておいて何だが、汚ねえなあ。もう、ずるずるに洟が止まらないのであろう。


 次は、五木寛之の著書。


  「大洟の一滴」


「大洟」を「おおっぱな」と読むと、いっそう、下品になれます。


 まあ、確かに人間、大小便もすれば、水っ洟も垂らす。痰も絡めば、ゲロも吐く。どうにもならない、汚い部分を抱えている。
 人間にできることは、せいぜい覆い隠すことくらいだ。それだって、風邪黴菌の手にかかれば、あっという間に実態が白日の下に晒される。


 本質的にバッちいうえに、大して世の中の流れを変えられるわけでもない。大洟の一滴。人間とは、まさにそんなちっぽけな存在なのである。


 思わぬ形で、いい感じの“法話”になってしまった。


 最後は、鴨長明方丈記」の有名な出だし。鼻に来た風邪。


  ゆく洟の流れは絶えずして
  しかももとの洟にあらず
  よどみに浮かぶ鼻提灯は
  かつ消えかつ結びて
  久しくとゞまりたるためしなし


 真理である。そして、恐るべき底の浅さだ。真理ならいいというわけではない。


 時間が来てしまった。では、また。カーッ、ペッ!


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