ゲーム好きで寡黙

 昨日、大阪の寝屋川の小学校で起きた殺傷事件はいたましい。事件自体についてはそれ以外に書けることがない。


 引っかかったのは、朝日新聞朝刊の記事の書き方だ。


 一面には、こんな文章があった。


少年の小中学校当時の同級生らによると、少年は同小を卒業後、地元の市立中に進んだ。テレビゲームが好きで小学校当時は友人らが少年宅でよくテレビゲームをしていた。中学校に入ってから不登校になったという。


 その程度の話しか同級生から聞き出せなかったのかもしれないが、真ん中にあるテレビゲーム云々というところだけ、異質・異様である。
 テレビゲームをよくしているとロクなやつにならない、という印象を抱かせる。いや、先入観を持っている人に確認させる、といったほうがいいか。


 同級生らの話がこんなふうだったら、記者は記事にしたろうか。


少年の小中学校当時の同級生らによると、少年は同小を卒業後、地元の市立中に進んだ。曲芸が好きで小学校当時は友人らが少年宅でよく皿回しをしていた。中学校に入ってから不登校になったという。


 情報としての軽重は、テレビゲームにも皿回しにもないはずだ。しかし、おそらくそんな愉快な仲間達の話を、記者は書かないだろう。読者から不謹慎に思われるだろうし、人々の心の中にあるものを反映していないからだ。


 社会面にも同じ事件についての記事がある。こちらでは、こんな見出しまで立てている。


少年 ゲーム好きで寡黙


 記事は長くなるので引用しないが、同級生達の話では、家にはゲームソフトがいっぱいあった、のだそうだ。その他、小学校の卒業文集に、将来はテレビゲーム情報誌の編集部員かゲームのデザイナーになりたいと書いた、なんて話もある。そんな小学生、いくらでもいるだろう。
 そうして、中学校に来なくなったという話、引きこもりをにおわせるエピソード、最後に「髪を茶色に染めた」なんていう目撃情報(というほど、大げさなものでもないけれど)で記事を終えている。


 まあ、この種の事件では、社会面で「主な登場人物」の紹介をするものと決まっている。
 そこでは、殺された人は基本的にいい人とされる(今回の被害者がそうでなかった、と言いたいわけではない。私の知らない人だ。わかるわけがない)。
 そうして、容疑者については、人々の先入観に引っかかる話が記されることが多い。「やっぱりな」、「ほうらね」となるかどうかがポイントだ。


 たぶん、こんな聞き込み情報があっても、新聞は見出しにしないのだ。


少年 トンボ捕りが好きでおしゃべり


 なぜなら、こんな快活そうな見出しでは人々の先入観を刺激しないからだ。いや、変な形で刺激はするかもしれないが、ふざけているのか、と思われかねない。そんな事態を、新聞は極力、避ける。


 掲載した記事についての責任は、もちろん、新聞社にある。一方で、この記事にある、テレビゲーム云々のような文章は、人々の心の反映でもある。


 私は記事を読んで、最初、この男は映画の「タクシー・ドライバー」ではないか、と感じた。マーチン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の映画だ。


「タクシー・ドライバー」の主人公は孤独な青年で、タクシー運転手の仕事とポルノ映画館に行くこと、アパートで不眠に悩まされることだけで日々を過ごしている。
 人とうまく関係を結べず、自分の中でどんどん自我ばかりが肥大していく。そうして、大統領候補の暗殺を企てるが失敗し、代わりに売春している少女のヒモを射殺する(詳しくは「<映画の見方>がわかる本」(町山智浩著、洋泉社ISBN:4896916603)。


 寝屋川の事件の容疑者も、孤独の中で自我が肥大していったのではないか――というのは、もちろん、私の想像だ。テレビゲーム云々や不登校という記事から、勝手にそんなふうに想像してしまったのである。本当のところは、わからない。


 私達の多くは、新聞記事を読んだり、ニュースショーを見たりして、先入観をつくり、あるいは偏見を強化して、中途半端な状態のままに放っておく。きちんと検証することはない。


 そうして、また次の事件がやって来る。