自分の書いた文章をちらほら読み返すと、どうもこう、何だかよくわからないというか、なくてもいいような言葉をやたらと使っているようだ。
今書いたのもそうだ。「どうも」、「こう」、「何だか」、なんてのがそう。
「ちらほら」、「やたらと」、「ような」もなくたっていいかもしれない。あるいは、いっそ、わたしがなくたっていいのかもしらん。あ、今の「いっそ」も別にいらない。
無駄っぽい言葉を抜いてみると、
自分の書いた文章を読み返すと、よくわからないというか、なくてもいい言葉を使っているようだ。
意味はきちんと通じるし、最初のよりは締まっている。小中学生の作文なら、こっちのほうに直されるかもしれない。
まあ(これもなくてもいい)、「どうも」、「こう」、「何だか」に意味がないかというと、そうとも限らない。
リズムを作る助けになったり、文章の雰囲気をこう(あ、また入った)、ゆるめる役を果たしたりもする。
しかし、普段、わたしはそんなに効果を意識して書いているわけではない。
クセというか、おそらく軟体動物ぶりがそういうところに出るのだろう。最近はウミウシに一方的なシンパシーを感じているイナモトであります。
何だかどうもこう、アレだな。ナニがナニするところが何やらナニして、ナニなわけですよ。まあ、そんなこんなで、ミナサンもナニでしょうが、そこんとこ、ひとつ、ドーゾよろしく。
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「今日の嘘八百」
嘘二百十一 コウノトリが運んでくる赤ちゃんはどういうふうに生まれるのかな。