以前、肌というものについて考えたことがある。
例えば、親分肌っていうのはどんなんだろう、とか。
何となくこう、腕に剛毛なんぞ生えていそうだ。白くて透きとおるような親分肌、というのはどうもサマにならない。
白くて透きとおるような、というのは、むしろ天才肌に向いている気がする。いや、天才の人にだって、中には日に灼けた剛毛派だっているだろうけど。
もちろん、こういう使い方の「肌」は皮膚のことではなくて、気質、性向のことを指している。
では、なぜ「肌」をそういうふうに使うようになったのかというと――どうもよくわからない。
日常の感覚(皮膚感覚ね)でいうと、皮膚と気質はあんまり関係なさそうだ。
言葉がある使い方をされるようになるには、それなりの経緯があるんだろうが、「肌」の場合はどうもその流れが読めない。
「はだ」つながりで、玄人はだしの「はだし」はなぜ「裸足」なのだ、というのも考えた。
しかし、これは辞書を引くと一発で答が出て、裸足で逃げる、から来たんだそうだ。
玄人はだしなら、玄人が裸足で逃げるくらい大したもんだ、ということらしい。
何だか、その人よりも、裸足で逃げ出した玄人のほうに興味が湧く。よほど気の弱い人なのだろうか。
「肌」に比べると、「腰」のほうがまだ納得いく。
逃げ腰、なんていうのは、頭の中でイメージしやすい。全員、逃げ腰の会議、なんていうのを想像すると、笑える。また、実際、そういう会議もある(今、うなずいたアナタ。会社が嫌になってませんか?)。
へっぴり腰、なんていうのも逃げ腰に近い。広辞苑を引くと、「身体をかがめて後へ尻をつき出した腰つき」と書いてある。妙に生真面目に説明しているのがおかしい。
しかし、中にはよくわからないのもあって、喧嘩腰、っていうのはどういうふうな腰つきなんだろう。
こういうのか。
・喧嘩腰?
キマってるねえ。
中高生のヤンチャな諸君も、タイマン張るときは、お互い、こういう腰つきで入っていただきたい。
「ヤ・マ・ダ・クン!」、「ス・ズ・キ・クン!」、「待ってましたっ!」なんて大向こうから声がかかったりして。粋なもんだヨ。
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「今日の嘘八百」
嘘四百七十六 おれの頭、priceless。お金で買えない、価値もない。