自分

 大阪弁を聞いていて面白いなあ、と思うのが、「自分」という言葉の使い方だ。


 例えば、


「自分、おかしいんとちゃうん?」


 というセリフがあったとする。
 意味は、「僕は変なのではないかな?」という自己反省ではなくて、「君は変なのではないかな?」というややソフトな攻めだろう。


 では、大阪の人達が自分自身のことをどう呼ぶか、というと、やっぱり、「自分」なのだ。


 だから、


「自分、自分のことどう思てんの?」


 なんていうのは、ややこしい。


 最初の「自分」は相手のことだろう。


 しかし、次の「自分」は、「相手から見た自分自身」にも、「自分から見た自分自身」にもとれる(えーと、後者の「自分から見た自分自身」のうち、最初にある「自分」は「僕」、「俺」、「私」の意味の自分である。あー、ややこしい)。


 だから、意味は、「お前は、お前自身のこと、どう思ってるんだ?」かもしれないし、「お前は、おれのこと、どう思ってるんだ?」かもしれない。


 なぜ、こういう不可思議な「自分」の使い方が育ったのか、自分は知らないけれども、自分の、例によっていっこう当てにならない霊感に従うと、小さな子供に「ボク」と呼びかけるような感覚ではないかと思うのだが、自分、どう思う?


 話はちょっと変わるが、大阪弁を共通語に訳そうとすると、取り澄ました変な感じになりがちだ。


 ひさうちみちおの、「大阪弁を東京言葉に変えてみる」というテーマの漫画を読んだことがある。


「お前ら、なんぼのもんじゃい!」という、大阪の戦闘開始時のお決まりフレーズは、東京に来ると、


「君たち、いくらのものなんだい?」


 となるんだそうで、いやあ、素敵だ。


 大阪を舞台にしたヤクザ映画を、全編、取り澄ました東京言葉に吹き替えたら、相当、笑えるものができるんじゃなかろうか。


 ほらあ、根性見せてみてくれないか。


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「今日の嘘八百」


嘘二百十二 民法と刑法は、大阪弁に訳すと、急に覚えやすくなる。