「申し訳ありません。ただいま、担当者が外出しておりまして」
という類の会話が、世の中ではたくさん交わされる。
「担当者が外出して」でも、「鯖の塩焼き定食は切れて」でも、「担当者がキレて」でもいいが、とりあえず謝っておくというのが、日本の――美しいかどうかは知らないが――文化のひとつだ。
ここで、「『申し訳ありません』と言いながら、担当者が外出、と申し訳しておるではないか!」などと怒ってはいけない。
そういう態度は、「大人げない」と思われてしまう。それもまた日本の文化だ。
もちろん、文化だからといって、必ずしもリッパだ、高尚だ、というわけではない。
昨日も、JRの人々が記者会見で謝っていた。
わたしはあの、今まで座っていたエラい人々が「では、そろそろ」、「参りますか」という感じでおずおずと立ち上がり、頭を下げる光景が好きだ。
いや、別にザマーミロというわけではなくて、何かこう、独特の型、「とりあえず」の所作、「なぜ、私がこんな目に」という心理が透けて見えて、素敵だなあ、と思うのである。
ああいう場で、エラい人が謝ったからといって、
「謝ったということは悪いことをしたと認めるわけだな?」
「は、はい」
「悪いことをしたら、償うのが筋だよな?」
「え、はい、あ、あの」
「『あの』はいらねんだ。どういうふうに償ってくれるのか、それを聞きたいんだよねえ」
などと、ヤクザのようなねじ込み方をしてはいけない。それもまた日本の文化だ。
「とりあえず謝っておく」という手口は、わたしにも刷り込まれている。
また、わたしの人生訓三箇条、
一、逃げる
二、誤魔化す
三、やりすごす
のうち、三にもよく馴染む。
こういう手口は、親の代から子の代へと、どういうふうにして伝わっていくのだろうか。
学校で教わった記憶はない。
家でも、「謝りなさい!」と叱られたことはあったが(悲しいかな、しょっちゅうであった)、「とりあえず謝っておきなさい!」と、テクニックとして教わったことはない。
見るもの、聞くもの、日常の何気ないやりとりから伝わっていくのでは、と推測はするけれども、確証はない。
こういうメカニズム、研究すると面白いと思いますよ。
やる気のある人は。
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘百十七 アハハハハ。生まれて、すみません。