ぶつぶつ

 外で何やらぶつぶつつぶやいている人を見かけると、ちょっとこう、避けて通りたくなる。


 あのぶつぶつ、頭の中はどういう仕掛けになっているのだろうか。


 よくスーパーでもオバサンがぶつぶつやっている。
「こないだもシチューだったしねえ」とか、「あらやだ。タマネギ忘れた」とか、まあ、そんなようなことを言う。
 オバサンぶつぶつ、と名づけたい。


 例によって、何の知識もなく勝手にほざくのだが、脳と発声器官をつなぐ神経には、途中、関所のようなものがあるのかもしれない。
 で、まあ、人と話すとか、必要なときには関所が「お通りめされい!」と開く。静かにしているべきときには「しばしお待ちなされい!」と閉じる。


 スーパーのオバサンの場合には、もう何だか関所がオール・スルーの状態になっていて、役人全員やる気なく、「シチュー? タマネギ? ああ、何でもいい。勝手に通れ、通れ、通らっしゃい」とネコロビハナホジリ状態になっているのではないか。


 オバサンぶつぶつが出るのは、スーパーに限らない。テレビを見ているときにも、よく出る。


 もう亡くなったが、わたしの祖母は時代劇が好きだった。
 で、時代劇には必要悪として悪人が出てくる。こやつらは基本的に卑怯者であるからして、善玉側の好人物に後ろからそっと忍び寄る、ということをよくやる。
 そんなとき、祖母はミカンの皮をむく手を止め、「あ。危ない。そこ。後ろ! ほら! 振り向いて! ああっ! あああっ!」と、テレビの中の好人物に向かって、必死に呼びかけるのである。


 ……書いていて、オバサンぶつぶつとはちょっと違う気がしてきたな。祖母の場合は必死に危険を伝えようとしていたのだから。テレビの中の好人物に。
 むろん、そのメッセージが届くことはなく、好人物は首を絞められたり、刺されたりして、あっけなく死んでしまうのだが(テレビがインタラクティブになったら、祖母の必死のメッセージも届くようになるのかね?)。


 えー、コホン。話がそれました。
 脳と発声器官の間には関所があるのではないか、と、そういう話であった。
 で、この関所がサボタージュすると、考えていることがそのまま口に出てしまう、ということになる。


 オバサンぶつぶつに危なさは感じられない。むしろ日常的安逸的マンネリ的平和の側にある。
 しかし、道や電車でぶつぶつやっている人は何となく気味が悪い。


 あれ、いったい何をぶつぶつやっているのだろう。もし考えていることがそのまま口から出ているとしたら、何を考えているのだろうか。


 興味はあるのだが、何かこう、チカヨッテハイケマセン、というパパママ・シグナルのようなものが出て、聞けずにいる。


 もしかしたら、森羅万象、この世界の全てを解き明かす大思想だったり、もうモテテモテテ、ボクまいっちゃうよう、というありがたーい呪文だったりするかもしれないのだが。


 というわけで(どういうわけか?)、今日は有名なジョークで締めましょう。


橋の上に男がひとり。何やらぶつぶつつぶやいている。
近づいてみると、「27、27、27、27……」。
気になるので訊いてみた。「あの、なんで同じ数ばかり続けているんですか?」
男はいきなり胸ぐらつかむと、川へドボーン。
「28、28、28,28……」


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「今日の嘘八百」


嘘百三 「行列のできる法律相談所」は、実は要領が悪くて時間がかかっているだけである。