今日はわたしなりに伝統というものについて考えてみたい。
日本の伝統的な泥棒の顔というのは、こういうものではないか、と思う。
いや、三波伸介の影響が入っているのは、認める。
しかし、日本で生まれ育った人なら、十人中八九人がこの顔を見たら、「泥棒だ」と思うのではないか。
さて、よくわからないのがほおっかぶりをする理由だ。
顔を隠すためにほおっかぶりをしているとしたら、あまり効果はない。なぜなら、ほおっかぶりを外すと、こんな顔だからだ。
見比べてみるとわかるが、ほおっかぶりをしたところで、顔は丸わかりである。
むしろ、「えー、私は泥棒です」と自己紹介しているようなものではないか、と思うのだ。
では、正体を隠したいからといって、サングラスをするとどうなるか。
しないよりはマシだが、ますます怪しい。下手したら、町を歩いているだけで逮捕されてしまうかもしれない。
人権に配慮してみよう。
あまり人権は守れないようである。
実はこの男を泥棒たらしめているのは、ほおっかぶりだけではない。
濃い楕円形のヒゲもポイントだ。
なぜなら、ヒゲをちゃんと剃ると、この男はこんな顔になるからだ。
少々太り気味ではあるが、なかなかの好青年に見える。
祭のとき、頼りになりそうなタイプである。美青年ではないけれども、ひそかに思いを寄せる婦女子もいるのではないか。くそっ。
見ただけで、泥棒とわかる。あるいは、泥棒と勘違いされる――わたしはほおっかぶりと楕円形のヒゲに、人々の間で長い時間をかけて培われてきた日本の伝統というものを、強く感じる。
「人を見かけで判断してはいけません」とよく言う。そう言わなければならないほど、人は人を見かけで判断しているのである。それが伝統だ。文化だ。敷島の大和心だパイのパイのパイだ。
傍証をお目にかけよう。
先の好青年がちょっと身だしなみを整えると、このような顔になる。
映画・ドラマの撮影や芝居など特殊な状況でない限り、ほとんどの人が「お公家様だ」と思うだろう。
白く塗って、眉を書き、頬を軽く染めただけなのに、お祭のとき頼りになった彼の姿はもう存在しない。思いを寄せる婦女子も不気味に思って逃げてしまった。
伝統、文化とはそういうものなのだ。我々の頭の中に、捉え方、感じ方、考え方のパターンとして存在する。必ずしもリッパとか格調高いというものではない。たぶん。おそらく。知らんけど。
ついでに、このお公家様の別の一面も見ておこう。
鎌倉、室町、戦国、江戸、と時代を下るにしたがって、お公家様の生活は苦しく、このようなことをなさらねば暮らしていけなかったという。おいたわしや。
-
-
-
-
-
-
-
-
- -
-
-
-
-
-
-
-
「今日の嘘八百」
嘘九十六 最近の若者は昔からダメでした。