相撲は国技か

 例によってのおれは、おれは、という話で申し訳ないのだが、相撲についておれの思うところを書く。例のやいのやいのの騒ぎはそろそろ収まったんだろうか。人の尻馬に乗ってやいのやいの言うのは嫌なので、今頃書く。

「日本の国技である相撲が〜」という言い方をよく聞く。その後はしばしば外国人力士への批判や日本人力士への期待(あるいは不甲斐なさ)へと話が続く。外国人力士にとっては時にゆるやかな差別にも感じられ、腹が立つ、あるいは悲しい言われ方だろう。

 相撲が日本的なのは間違いないが(八百長やごっつあん的な馴れ合いも含めて。モンゴル人力士の親睦会はそういう意味では日本の伝統に正しくしたがっているとも言える)、国技といえるかというと、疑問である。

 相撲が「国技」と呼ばれるようになったのは、明治の末に両国に「国技館」ができてからであるらしい(今の国技館は1985年の再建)。「国技館」と名乗ったことから、また日本的な特殊イメージがあることから、国技と呼ばれるようになったようだ。

 しかし、実体として相撲が国技とは思えない。神事に相撲が伴うことはあったようだし、村祭りの力比べとして相撲が行われることもあったろう。また、禁裏でも相撲を演じることはあったようだ(年寄の名前が顔に似合わず、高砂、伊勢ケ浜などと妙に雅なのはそのせいかもしれない)。しかし、国技と呼ぶほどに昔から技が浸透していたようでもないし、おれが小学校の頃には体育の授業で申し訳程度に相撲の時間があったが、本当に申し訳であった。もし国技と呼ぶべきものがあるとしたら、経験者の人数からして柔道や剣道のほうがまだ近いと思う。

 ともあれ、「国技」という言い方を外国人力士への悪口や溜飲下げに利用しているのを見ると、みっともないと思う。うがった見方をすれば、「強い外国人力士など見たくない」という意識が「日本の国技である相撲が〜」という言い方につながっているのではないか。