方向音痴

 人それぞれ、いろんな傾きというものがある。


 わたしが興味を持って見るのは、方向音痴の人だ。
 例えば、ふたりでどこかへ行くとして、こちらは一歩身を引き、わざと相手を勝手に歩かせてみる。


 面白いことに、方向音痴の人は駅の改札を出た後、ふらふらっ、とわけのわからない方向へ歩き出す。
 何の確信があるのか、どんどん歩いていって、神秘的な理由により角を曲がり、霊感によって信号を渡り、大きな交差点や行き止まりに至って、ようやく「あれ?」と立ち止まる。


 どうしてこっちへ来たのか、と訊ねても、要領を得ない。「こっちだと思った」とか、甚だしいのになると、「なぜだろ?」と自分でも不思議がる。


 どうしてあらかじめ地図を見ないのか、と訊ねると、そもそも地図の見方がわからない、という。


 いや、別に馬鹿というわけではないのだ。話は普通にするし、知的な輝きを見せる人だっている。それでも地図を見ず(見られず?)、勝手な方向へずんずん進み、やがて途方に暮れる。