唐獅子の絵を見る度に、「なれの果て」という言葉が思い浮かぶ。高倉の健さんの背中に彫られた唐獅子牡丹なんて、なれの果ての、そのまた果てではないか。
ご承知の通り、獅子とはライオンである。「強い」というその一点の興味で運ばれて、日本までたどり着いたのだろう。
しかし、もしライオンが日本の唐獅子の絵を見たら、「これは断じて私ではない」と獅子吼するのではないか。
話はそれるが、昨年、京都国立博物館の狩野永徳展でこの「唐獅子図」を見た。
生で見るまでは、本なんぞで見て、「ふーん」と大して気にもとめていなかったのだが、目のあたりにすると大変な迫力がある。何しろ、デカイのである。畳四枚分くらいはあるんじゃないか(後記:調べてみると、面積では六畳分くらいあるようだ)。
デカイというのは、それだけで価値を生む。
奈良の大仏だって、あれが高さ35cmくらいだったら、誰も相手にしないに違いない。いや、東大寺のあの巨大な大仏殿に、ちょこんと35cmだけがましましていたら、それはそれで注目を集めるか……。
唐獅子の話であった。どうも頭があちこちをさまよっていけない。
同じ日本画でも、虎はかなり本物に似せて描かれる。日本画が学んだ中国画によく描かれることと、当時は中国にも虎がそこそこいたからだろう。
外国の動物、事物を描いた絵がどのくらい変わり果てるかは、割に単純に距離で決まるようにも思う。
虎はリアルだが、象あたりになると少々怪しくなってくる。象がいるのは、近いところでもタイあたりだからだろう。
これがライオンとなると、アフリカだ。インドにも確か少しいたと思うが、そこから流れてきたとしても、道はウン万kmとある。
絵の伝言ゲームをウン万kmとやっていれば、牡丹のそばで犬っころが遊んでいるような図像に変容してもしょうがないのかもしれない。
変容といえば神様もそうで、大黒様は元々、インドのシヴァ神の怒りの化身である。それが流れ流れて、行き着いた極東の島国では、帽子をかぶってニコニコ笑いながら小槌を振り上げている、わけのわからない神様になってしまった。
七福神の中では、他に弁天様がヒンドゥーのサラスヴァティー神、毘沙門天がクヴェーラ神(金比羅という名前に音の残滓が残っている)だそうだ。
毘沙門天を含め、仏教の四天王はいずれも元々ヒンドゥー教の神様だし、不動様もそう。阿修羅もそう。帝釈様もそう。
日本は一応、仏教、神道の支配的な国ということになっているけれども、信仰の対象を考えると、実は2、30%はヒンドゥー教なのではないか、などと思ってしまう。
幕末頃までは、行き止まり、吹きだまりの国であったし。
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「今日の嘘八百」
嘘六百五十九 ユダヤ人大富豪に、お金持ちになるにはどうしたらいいか訊ねたら、「では、まず私に預けなさい」と教えてくれた。