商売というのは、つまりはギャップを埋めることだ。
インドには胡椒というスパイスがあり、ヨーロッパにはなかった。
胡椒なぞインドではいくらもしないが、ヨーロッパでは大変な高値。ベネチアがインドからヨーロッパに胡椒を運んで大儲けしたことは、歴史上、有名な話である。
まあ、そんな大袈裟な話を持ち出さなくても、お百姓さんから青果市場、八百屋まで、「大根がほしいけど、ない」というギャップを埋めることで、商売・経済は成り立っている。
テレビのニュースや新聞も、単純に言ってしまえば、メディア側には情報があるが、受け手側にはない、というギャップを埋めることで、商売している。
ここまではよござんすか。
さて、わたしはここに、「ダメ屋」なる商売を提案したい。
ダメ屋はもの凄くダメな人による商売だ。
主な客は、オッサン――小難しい言い方をするならば、理想と現実のギャップを抱えたオッサンである。
「まわりからこう見られたい」という理想と、本人の実力にギャップを抱えているオッサンは多い。
「おれはできる人間なんだがなあ」などと自分では思いつつ、まわりからそうは扱われていないオッサン。
図示すればこういうことだ。
右側のグレーの棒、「オッサンの実力」と書いたけれども、「まわりの評価」と言い換えてもよい。
理想の自分像と、実力(まわりの評価)にギャップのあるオッサン。こういう人は欲求不満を抱えている。
でもって、居酒屋かなんかで、部下をネチネチいたぶったり、「だいたい、今の若いやつには勝たなきゃっていう精神が欠けてんだよ」などとトリノ・オリンピックの日本選手をクサしたり(「んなら、自分でやってみれば」と切り返すのは禁じ手である)するのである。
商売の観点からして、せっかくあるギャップを、居酒屋なんぞでチビチビ解消させるのはもったいないと思うのである。
ここに、ダメ屋なる商売が登場する。
ダメ屋はもの凄くダメな人だ。
できれば、定職がないとか、仕事についてもすぐにやめてしまうとか、仕事の進め方がトンチンカンであるとか、オッサンのクサしやすいダメさが望ましい。
本当にダメでなくても、ダメに見せかけられればよい。
オッサンは金を払って、ダメ屋を説教する。ダメ屋は基本的に「はい、はい」と頷きながらも、時折ぼんやりしたり、「でも、あの……」とダメな言い訳をしたりして、オッサンの説教をヒートアップさせる。
ここらは、まあ、「芸の力」だ。
図示しておこう。
何しろ、ダメ屋はダメなやつだから、相対的にはオッサンのほうが上なのだ。
説教というのは、とても気持ちいい。
何だか偉い人間になった心持ちがして、自分に誇りを持てる。
さて、では、具体的にダメ屋がどういうふうに商売するかだが、飲み屋を一軒一軒まわる流しのダメ屋というのも魅力的だ。
しかし、安定して客をつかむのなら、ホスト・クラブのように、ダメ・クラブとでも言うべき店を開くのも手だと思う。
多彩なダメ人間の集まる、ダメ・クラブ。
客であるオッサンそれぞれには好みの説教があるから、説教のタイプに合ったダメ人間にご指名がかかる。
店内では、そこここで、多種多様な説教が繰り広げられている。
オッサンとの同伴出勤というのも考えられる。
開店前に、喫茶店かどこかでコンコンと説教されるのである。
もちろん、アフターというのもある。
知的財産権は放棄するから、誰かやってくんないかな。
その代わり、開店の折りには、わたしに最初の説教をさせてくれ。
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「今日の嘘八百」
嘘六十九 家でイナバウワーをしようとして、脳天からひっくり返った。