近づいて見ると悲劇だが、離れて眺めると喜劇ということがよくあって、例えば、昨今の内閣・自民党のあれやこれやなんかはそんな感じがする。本人達や新聞記者にとっては真剣な話なんだろうが、ちょっと離れた視点から見ると、ドタバタ劇のおもむきがある。
「斜陽」が映画化される(か、もうされたんだったか)関係で、太宰治が結構注目されているようだ。太宰治の小説は、はまる人は相当はまるらしく、特に晩年の「斜陽」や「人間失格」なんかは深刻タイプの人にはかなり“来る”ようだ。
わたし自身はというと、太宰治の晩年の作に心をえぐられるような感じは受けなかった(読んだのは随分昔だが)。「人間失格」なんて、タイトルからしてギャグなんじゃないかと思ったほどだ。主人公のあまりのダメぶりには笑ってしまった。
こういう書き方は、はまった人からすると、飲み水に胡椒をぶちまけられたような気になるのかもしれない。ま、わたしがどうしようもなく脳天気なだけだと思う。
あるいは、石川啄木の有名な、
東海の小島の磯の白砂に
われ泣きぬれて
蟹とたはむる
という歌も、いつも笑ってしまう。浜辺で蟹と泣きながら遊ぶというのだ。離れたショットで想像すると(つまり、感情移入しなければ)相当に面白い事態である。
日本には(か世界各地でか知らないが)ダメ文学の流れというのがあるようで、いかに自分がダメであるかということを延々と書き綴るようである。人の話では、田山花袋の「蒲団」の主人公も相当なダメっぷりであるらしい。今度読んでみようと思っている。