交通教育


 運転免許は、更新と同時に講習を受けなければならない。ビデオを見たり、警察の人の話を聞いたりする。


 安全運転のネジを巻く、という意味では、まったくの無駄ではなかろうけれども、どの程度の効果があるのかはよくわからない。


 講習の内容を覚えていて、運転が慎重になるのは、せいぜい、2、3日、人によっては皆無、長い人で1週間とか、そんなものではないか。


 もっとショックを与えたほうがいいと思うのである。


 たとえば、交通事故の死体を警察や運転免許試験場の前に晒しておく、というのはどうか。
 毎日見れば、見慣れてしまうだろうけれども、3年とか、5年に一度、グログロの死体を見るのだ。うげげげ、となるに違いない。
 麻薬中毒の悲惨さを一番思い知らせるのは、麻薬中毒者の肉体と行動なのだ。


 もちろん、新鮮な交通事故の死体がしょっちゅう手に入るわけではない。だから、アクリルか何かで固める必要がある。


 実物の迫力というのは、写真やビデオなんぞより、圧倒的に説得力があると思う。悲しみにくれる遺族を一緒にアクリルで固めておく手もある。


 また、交通刑務所は廃止する。
 その代わり、受刑者は警察や運転免許試験場の前に住まわせる。


 免許の更新に来た人は、「ああ、ここのやつ、交通事故やらかしたんだな」とヒソヒソ噂話をする。卑怯なやつは窓に石を投げるかもしれない。
 受刑者は後悔と悔しさ、恥ずかしさでいたたまれなくなるだろう。
「ここには住みたくないな。運転、気を付けよう」と、 前を通り過ぎる人達に対して、抑止力にもなるはずだ。


 冒頭に書いたように、人権への配慮は捨ててかかって書いている。
 人権擁護団体の人々よ。来るなら、来なさい。


 そのときは謝ります。


 そして、これが究極の刑だと思うのだが、悪質な交通事故を起こした者には、額に焼きゴテを当てる。発想としては、江戸時代の日本や昔の中国の受刑者と一緒だ。


 ただし、焼きゴテの型は、ピーポくんのイラストである。


 これはモーレツに恥ずかしい。おまけに、街を歩けば、「交通事故を起こすと、こんな目にあうのだ」というアナウンス効果にもなる。


 と、ここまで書いてきて、運転免許試験場のあの長ーい列は、プチ受刑者気分を味わわせるためなんじゃないか、と思えてきた。


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「今日の嘘八百」


嘘三十 政府が日本国憲法の商標登録を検討している。