物を指して、
「お、これ、ちょっとかわいいじゃない」
などとオッサンが言っても、今ではさほど怪しまれなくなった。
大袈裟な話にするけれども、これ、実は文化史的に大きなことなんじゃないかと思う。
「かわいい」というのは、今では世代を超えた共通の好ましい感覚になっている。
いや、もちろん、子供や小動物を指して、「かわいい」(とか、それを意味する言葉)と言うことは、昔からあったろう。
しかし、人工物の「かわいい」ものを好む感覚を、大の男が平気で抱くようになった(あるいは、恥ずかしげもなく口にできるようになった)のは、割に最近のことではないか。例によって、調べたわけではないけれども。
戦後すぐはどうだったのだろう。大正、明治、江戸時代は。
例えば、武士が旅をしていて、ふと目にとまったこけしに、「なに、これ、かわいいー」などとぬかすことはあまりなかったろう(と信じたい)。
わたしは、人工的に作られた「かわいい」ものが苦手で、ファンシー系統のものを見ると、うへ、と思う。大袈裟に言うと、ウンコ踏んだような気になる。
この文章を斜に構えた態度で書いているのは、そのせいだ。
一方で、「かわいい」に押されたせいかどうかはわからないけれども、相対的に弱まりつつある感覚もある。
「粋」なんていうのは、だんだんあまり大事にされなくなってきているのではないか。
「オツ」となると、正しく理解できない人も多いと思う。少なくとも、日常会話で口にすることは、めったにない。
「風流」はまだ残っているほうだと思う。しかし、昔ほど、はびこってはいないだろう(昔のことなんざ、本当は知らないけどさ)。
わたしはさっき書いたように「かわいい」ものがあまり好きではない。正確には「かわいいでしょ、かわいいでしょ」と狙って作られたものに、抵抗を感じる。
だから、心ひそかに(こんなところに書いたら、全然、心ひそかじゃないけど)、「かわいい」を駆逐して、他の感覚を注入してやりたい、と思っている。
女子高生が夜の街を歩いていて、ふと空の月に目をとめ、
「なに、あれ、風流〜」
「花鳥風月ぅ〜」
などと騒ぐ姿を想像して、うんうん、と頷くのである。
あるいは前を行くオッサンのハゲ頭に、
「もののあはれ〜」
「盛者必衰〜」
としみじみするのはどうか。
いや、なんかね、人工物に対する「かわいい」という感覚は、つるん、として、感覚のひだひだが足らないような気がするのだよ。いとをかし。
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「今日の嘘八百」
嘘十六 達磨大師が幽霊になって出てきたときには、弟子一同、何となく困ったそうだ。