文章をなりわいにしていながら、今ひとつ意味を理解しきれない言葉がある。
昨日、取り上げた「自己実現」というのも、平気な顔して書いておきながら、実はよくわかっていない。
自己が実現するって、どういうことだろう。我思う故に我あり。だったら、自己は実現しちゃっているじゃないか。
と、字ヅラを見て思うのだが、どうもそういうことではなさそうだ。
何やら、ジョーショーシコーというものにも関係しているらしい。
ただ、わたしは、あんまりそういう脂ぎったものには近づかないようにしている。なので、結局、遠目に眺めながら、ああいうことかねえ、こういうことかねえ、と考えてみる程度である。
「自己実現」と言うから、わからないのかもしれない。「自己の欲望実現」だとどうだろう。
しかし、これでは甘党の人は、ヨーカンを食べるたびに自己実現をしていることになってしまう。
うーむ。わらかぬ。単に「満足」というのとも違うのだろうしな。たぶん、もっとリッパなことなのだろう。
広辞苑で引いてみる。
さすがである。ヨーカンの問題ではなかった。
つまり、わたしを例にとるなら、世界征服せよ、と、そういうことであるらしい。
しかし、まあ、これは、いかにも商売の道具になりそうな考え方だな。ナントカ・セミナーとか、通信教育とか、タレント養成所とか、その手の商売。