「ミロのヴィーナスというやつがあるじゃろう」
と、その老人は言うのである。
「あれはな、実はわしがつくったんじゃ」
全然時代が合いませんよ、あれは古代ギリシャの彫刻です、と言うと、老人はフン、と鼻を鳴らした。
「その頃にわしがつくったんじゃ」
怒らせることもあるまい、と思い、またボケ具合を観察するのも一興と思って、反論はやめた。逆に質問してみることにした。
「ヴィーナスの両腕がありませんね。あれは本当はどうなっていたんですか」
「両手をあげておった。『お手上げのヴィーナス』というタイトルだったんじゃが、今イチ受けなんだので、腹を立てて、折ってしもうた」
「腕がないからこそ美しい、という人もいますよ」
「なぜ美しくなければならんのじゃ?」
と、老人は即座に言い返した。私はとっさに答えられなかった。
「腕を上げておったほうが面白い。わしは、いかんともしがたいヴィーナスを作りたかったのじゃ!」
老人がステッキをめちゃくちゃに振り回し始めた。私は逃げた。腕に当たったら、私がヴィーナスになりかねない。
「埴輪もな、わしがつくったんじゃ」
「ギリシャから、今度は日本ですか」
「いかんかね?」
老人の目が鋭くなり、ステッキを床に、トン、と突いたので、私は手を振って、慌てて否定した。
「ずいぶん、簡単な顔をしてますね、埴輪は。目や口は穴を開けただけで」
「あれは写実だ。当時の人は、ああいう顔じゃった。みんな、ポケー、としておってな、まるっきり馬鹿じゃった」
「土偶はどうなんです? 宇宙人を模したものだ、という説もありますが」
老人が突然、高笑いをした。ワハハハハと笑いたかったのかもしれないが、歯がないせいか、喉が木のウロのように硬くなっているせいか、ヒュヒュヒュヒュヒュ、と風のような音が漏れた。
「あれはな、ああいうガニマタのデブがおったんじゃ。いつも眠そうな目をしておったわい」
「スフィンクスも、わしの仕事じゃ」
老人の話はどんどんでかくなる。
「なぜあんなものをつくろうと思ったのですか。エジプト王の命令ですか」
「カッコよかったからじゃ」
私は呆れた。しかし、ホラがどこまで行くのか、興味もあった。
「大変だったでしょうね。どれくらいの人を使って、何年かかったのですか。あれをつくるのに」
「わしひとりでつくった」
そんな馬鹿な、と思わず笑うと、老人はまためちゃくちゃにステッキを振り回した。ごめんなさい、ごめんなさい、と謝ると、老人は「朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足、乙武クンの立場はどうなる?!」と叫んでから、席に戻った。
「ひとりでつくるのは、さぞ重労働だったでしょうね」
と私は言った。多少、追従する気持ちもあった。
「頑張った」
老人は、それっきり黙ってしまった。