蛇が嫌いな人は蜘蛛が平気で、蜘蛛が嫌いな人は蛇が苦手という。


 本当かどうかは例によって知らないが(なんだか、毎日、知らない、わからないと書いている気がする)、少なくともわたしは蛇が嫌いで、蜘蛛は割と平気である。


 部屋の中を、小さな蜘蛛がチョコチョコと走り回ることがある。
 その日の気分にもよるが、たいていは捨て置くことにしている。


 もっとも、田舎家にいるような長い手足の蜘蛛はさすがに気味が悪い。ただ、蛇と違って、あまりこちらにアプローチしてこないところが、救いではある。


 蛇はダメだ。あのウニウニとした動き方も気持ち悪いし、テラテラしたウロコも、台形をした頭部も、目も舌も苦手である。
 写真で見るのは平気だが、生で見ると、うひゃああああ、と思う。不意をついて突然目の前に現れたら、情けないが、悲鳴を挙げるかもしれない。


 苦手な動物がもう一種類ある。
 鯉だ。


 カープ・フィッシングで巨大な鯉(生存条件さえ整えば、鯉は1m以上になるそうだ)を自慢げに掲げる釣り人を見ると、「よくやるよ」と思う。


 何が、って、あの顔がダメだ。


鯉の顔


 言っちゃあなんだが、馬鹿ではないか、と思う。鮭の鋭角的な表情も、マグロやアジの無感覚さとも違う。
 なまじい、どこか人間に似た顔をしているだけ、いっそう、気持ち悪いのかもしれない。それに、何だか、臭そうだ。


 馬鹿な顔つきの割に、鯉は日本で特殊なポジションを占めている。


 錦鯉は、池を離れて見る分には、白、黒、赤、青と彩りがよくてきれいに見えるかもしれない。
 しかし、近くに寄ってみれば、馬鹿が極彩色を身にまとって、泳いでいるだけの話だ。しかも、あやつら、何だか、意地汚い。


 鯉のぼりは、馬鹿どもを屋根より高く掲げる。鯉の滝登りは馬鹿が滝を登ろうと企てる。
 馬鹿と煙は高いところに登る、というのは本当のようだ。


 書画で鯉を描くのもよくわからない。
 馬鹿を掛け軸にして、床の間に飾る。その発想がよくわからない。


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