死と再生の物語

 文庫本の裏表紙にはよく内容紹介文が載っている。
 こんな言葉がよく書いてあるような気がする。


死と再生の物語。


 もちろん、きちんと文庫本のサンプルを抽出して調べたわけではない。何となく、「いかにも」というふうに思うだけだ。


 なかなか、受けそうな言葉だと思う。ズドーン、と来る人もいるのではないか。


 これはやはり、「死と再生の物語」でなければいけない。
「再生と死の物語」では淋しすぎるし、「死と再生産の物語」ではカール・マルクスか工場長の顔が浮かんできて、興ざめだろう。「録画と再生の物語」では、ビデオデッキである。


 なぜに「死と再生の物語」が受けるかというと、ひとつには神話によくあるテーマ、ということが挙げられるかもしれない。
 神話によくあるテーマ、というのは、人が心の底で引っかかっているものだからだ。


 あるいは、冬に枯れて、春に芽吹く植物、なんていうのも関係しているかもしれない。


 そこらへんは、まあ、「いかにも」といった話だ。


 しかし、わたしはここでもうひとつ、指摘しておきたい。


「死と再生の物語」のうち、人が欲するのはもっぱら、「再生」のほうだ。「死」だけだと、終わっちゃうので、受けが悪い。


「死と再生の物語」というと、大げさだけれども、これは人の「チャラにしたい」、「なかったことにする」願望の表れではないか。


 引っ越しして心機一転の気分を味わったり、嫌な職場を辞めたり、マンネリになった相手をテキトーな理由でビンタして新しい相手とくっついたりと、「リセット」したい気持ちは、多くの人にあると思う。


 それを、格好よく、ズドーンと大げさに表現すると、「死と再生の物語」ということになるのだ。たぶん。


 だから、この言葉は「閉店と新装開店の物語」とか、「離婚と新生活の物語」とか、「辞表とハローワークの物語」とか、いろんなものを含む。だからこそ、受けるのだ。


 どうだ、参ったか。わはははは。


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