青春の発見

 例によっての思いつきなのだが、江戸時代の物語、あるいは江戸時代から伝わる物語に、ほとんど“青春”的なものが見あたらないのはなぜだろうか(“青春”という言葉は古くさくて、ちょっと気恥ずかしいのだが、代わりになる言葉が見あたらない)。


 まあ、例えば、「勤王の志士達の青春!」みたいな小説や映画もないではないけれども、多分に現代の脚色じゃないかと思う。


 もちろん、若い者が主人公の物語はたくさんある。しかし、それらは単に若いというだけで、青春ではないと思う。


 忠臣蔵のおかると勘平が青春の物語かというと、違うだろう。曽根崎心中のお初、徳兵衛も違う。弁天小僧が恐喝に懸ける青春ストーリーかというと――そういう脚色もできないではないが――やはり、違う。


 彼らはいずれも大人だ。あるいは、判断力には若さゆえの未熟さ・性急ぶりがあっても、自分では大人と思っているだろう。


 江戸時代の物語には、未婚の男性は出てきても、青春的感覚はないか、あってもかすかだったのではないかと思う。


 なぜだろう。
 昔は、現代から見れば早いうちに進むべき道が決まり、そこから外に出る道がなかったからだろうか。


 武士は十代半ばで元服、出仕。商家では十かそこらで丁稚となり、十年ほど無給で働いた後、手代になったという。それから、結婚。これでは、青春の入り込む隙がなかったかもしれない。


 思うに、青春が可能となるには、先行きがある程度、未決の状態、あるいはいざとなれば現状から抜け出て、他へも行ける自由度が必要なんではないか。


 わかりやすい例を言えば、学生の状態。あるいは、辞めて他に行くこともできないではない、半端な境遇。
 そういう、一種の余裕、猶予がなければ、青春は成り立ちにくいように思う。


 例えば、夏目漱石でいえば、「三四郎」の三四郎は大学に入って、ぶらぶらと青春的。「それから」の、父の金で高等遊民であろうとする代助も、やや変則的だが、青春らしいところがある(そこに安住できない苦さが眼目なのだが)。


坊っちゃん」が青春的に感じられるのも、主人公が一応は教師という職に就きながら、どこか一生の仕事とまでは思い定めていないところに理由があると思う。結局、坊っちゃんは、教師の職をさっさと捨てて、街鉄の技師となってしまった。


 日本で、青春的なものが発見されたのは、明治期のことなのではないかと思う。
 明治期に、学生が小説や、野球や、藤村操の華厳の滝への飛込み(萬有の真相は唯だ一言にして悉(つく)す、曰く不可解、ってやつ。いかにも性急な青春的観念主義だと思う)に熱狂したのも、青春そのもののメカニズムが働いたからだけでなく、青春の“発見”のコーフンがあったのでは、と想像する。


 まあ、例によって、わたしのいっこう当てにならない霊感をもとに、思いつきを書いているだけなのだが。


 古典落語にも、あまり、青春的なストーリーはないようだ。


 唯一の例外が、大店の若旦那ではないかと思う。自由で、勘当賭けての未決の状態。あれこそ、女郎買いに懸けた青春だ。

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「今日の嘘八百」


嘘七百七十四 そう考えると、森田健作を見たときに我々の胸に巻き起こる、コマった感覚も理解できる。