フリーライティングは、あるいは即興詩というものなのかもしれない。
が、詩についてはほとんど何も知らないので、わたしには何とも言えない。
自分では詩を書いているつもりはなく、気分的には演奏に近い。即興演奏だ。
だいたい、こんなものを詩と称しては、怒り出す人がいるかもしれない。
まあ、そんなことはどうでもいいや。
音楽には、楽譜に書かれた通りに演奏するやり方と、即興で、でたとこ勝負で演奏するやり方がある。
もちろん、実際にはいろんなパターンがある。
コード進行だけ決めて、どうやるかは各自にまかせるとか、合図でテーマに戻ることだけ決めておいて、あとはコードもテンポも自由にドシャメシャやる、というのもある。
あるいは、バックは楽譜通りにやるが、ひとりだけアドリブでやるとか、基本的に楽譜に従うが、適宜、即興を入れる、というのもある。
楽譜通りに演奏するといったって、ほとんどのケースでは、音の強弱やリズムの取り方を、その場の判断や気分で決めるだろう。
そう考えると、演奏に即興はつきもの、と言ってよいと思う。
即興のいいところは、瞬間的なパッションや、高揚感が、出てくるもの(音や言葉)にストレートに反映するところだ。
あるいは、まわりの出したものに触発されたり、自分の出したものに自分で触発されたりもする。
逆に、自分が何となく抱えているものや、本音がポロリ、と出ることもある。
偶然で思わぬものができあがってしまうこともあるが、おおむね、実力の不足はごまかせない。
スポーツで考えてみてもいい。
例えば、サッカーは即興だ。
あれが、敵味方ともに、完全にシナリオに書かれた通りの動きをしたらどうなるか。
敵のFWからDFがボールを奪い、右サイドのMFにロングキックでボールを送って、MFはドリブルで突破、クロスを送って、FWがヘッドするのを敵のGKがセーブ――というのをあらかじめ決めて、プレーしたら、全然違う種類のスポーツになると思う(たぶん、今、書いた動きをきちんと再現するには相当な技量が必要だが)。
サッカーには、かなり約束事を決めてプレーするチームも、さほど組織的でなく選手のアドリブにまかせるチームもある。しかし、相手がどう出てくるかはわからないし、偶然性も大きく作用するから、チームがどちらのタイプであれ、基本は即興だ。
そうして、サッカーを見る人は、そうした即興性を楽しんでいる。パッションや高揚感、触発、反応、瞬間的なアイデアが面白い。
一方、シンクロや体操競技、フィギュア、極端な例では少林寺や柔道の演舞は、即興性は少ない。しかし、それはそれで練り込まれたものを実現していく美しさがある。
また、特に、大舞台では、即興とは別の形で出てくる高揚感も、あるかもしれない。
どちらが上というものではないが、プレーの基礎にあるものはだいぶ違うと思う。
即興ならではの面白さについては、まだ書きたいことがあるのだが、長くなった。
続きは明日にでも書こうと思う。