談志はいつもエラソーに話す。
若い頃は生意気と言われ、生意気と言われない年齢になったら、傲慢と言われるようになった。
本人はよく「傲慢だ、傲慢だ、と言うけど、俺はてめえの傲慢を隠すほど、人が悪くねえってんだ」と言う。
よく言うということは、談志自身、傲慢であることを気にしているのだろう。上記の発言は、照れがあるから強気の口調で言っているけれど、本心だと思う。ナイーブな人なのかもしれない。
志ん生は正月の高座で、しばしば「エー、本年も相変わらずお引き立てを願います。わたくしどもは、もう、皆様にとりすがるしかない商売でありまして〜」などと言っていたようだ。
これは、大げさにへりくだってみせて笑わせる手口だ。客は、志ん生が袖か何かにとりすがっている姿を想像して、笑う。志ん生が本心で客をあがめていたわけではなかろう。
息子の志ん朝は、「お運びで有り難く御礼申し上げます」と話し始めることが多かった。これは型であろう。
志ん生や志ん朝が傲慢だったかどうかは知らないが、あれだけの芸とセンスを持った人達だ。自信とプライドは相当あったはずだ。
なめるわけではないけれど、たいていの客に負ける(底を見られる)気はしなかったろう。
しかし、そこでへりくだってみせるのが、ニッポン文化というやつかもしれない。
もっとも、志ん生の「皆様にとりすがるしかない〜」はギャグだけれども。
三波春夫のことはよく知らないけれど、彼が舞台で「お客様は神様です」とやるのはどうだったんだろう。
型といえば型だけれども、あざとさが感じられ、本心ではなかったように思う。
いや、三波春夫は舞台やカメラの前ではいつもニコニコしながら、裏では傲慢そうに見えたから、勝手にそんなふうに想像するのだが。
あの、へりくだる、というのは何なのだろう。私も、この日記でよく「〜していただきたい」という書き方をするけれども。
今は減ったのかもしれないが、私が子供の頃は、遠方の親戚が家に来ると、双方が正座して、ぺこぺこ何度も何度も頭を下げあっていた。
子供の目には滑稽に見えた。
ビゴーの描いた明治時代の漫画にも、双方、お辞儀を続ける絵がある。
へりくだる、というのは、とりあえず下手(したて)に出ておけば相手は悪い気がしない、という作戦だろうか。