日本人論と血液型性格判断

 今回のコロナ騒ぎのように世情がわさわさすると、やたらと日本論や日本人論が語られるようになる。

 おれは、日本人論の中には傾聴すべきものもあるけれど、たいがいはいい加減なものだと思っている。他の社会の人々ときちんと比べているとは限らないし(せいぜいのところ、欧米の一部の社会(なぜか「向こう」と称される)くらいだ)、当てずっぽうに思いついたことを語っているだけのことが多い。

たとえば、コロナ騒ぎの上陸初期にトイレットペーパーの買い占めが起きたときには、「日本人はこういうときになると……」などと語られたが、少し経ってみると、他の国でもトイレットペーパーの買い占め騒ぎが起きていて、日本人に限った話ではないということがわかった。

 多くの日本人論は、血液型性格判断に似ている。おれもガキの頃から、「A型の人は〜」「B型の人は〜」と刷り込まれていて、なんとなく信じていた。しかしまあ、あれは性格についての統計をとってみると、全然関係ないらしい。

 それでも「当たっている気がする」と感じてしまうところが、血液型性格判断のおそろしいというか、面白いところで、要するに、人間の性格の捉え方なんていうのは曖昧なものだから、「言われてみると、そんな気がする」と思い当たる節に思い当たってしまうのだろう。

 たいがいの日本人論も同じで、「言われてみると、そんな気がする」で流布してしまうのだと思う。

 日本人に、他の社会の人々と比べて、なんらかの特徴的な傾向はあるのだろうけれども、その理由をあれこれ感じたまま、思ったままに語るのは、居酒屋政治論と同じく、一種の楽しみにはなるだろうけど、いい加減なものだと思う。

 ちなみに、おれは血液型が新型である。