生まれて殺されるのと、生まれないのと、どちらが幸せなのか?

 ある本を読んでいたら、菜食主義者の著者が肉を好む女性を説得する場面が出てきた。

 肉の害悪についてあれやこれやと述べたてるのだが、その中に「牛が殺される前に泣くのを知っていましたか」というセリフがあった。牛がかわいそうだから、肉を食べるのをやめなさい、ということなのだろう。強力な方面から攻めてくるものである。

 しかしまあ、このあたり、難しいと思うのよね。

 たとえば、菜食主義が広まって牛肉の需要が減ったとする。そうすると、牛があまり飼われなくなるので、農家は牛に子供を産ませなくなる。そうすると、肉食が多かったら生まれてこれたはずの仔牛が、この世に生を受けられなくなる。この世に生まれて肉になるために殺されるのと、そもそも生まれてこないのとどちらが幸せなのだろうか。

 なかなかこれ、簡単に答えが出ないようにも思う。

 肉食を否定することはモンゴルの遊牧民や北極圏に生きるイヌイットの生活の否定でもある、と思うのだが、どうだろう。

 いや、菜食主義がだからダメだ、ということでもないんだが。