列に並ぶ、ということが嫌いで、旧・ソ連邦に生まれなくてよかったなあ、と思う。
肉を買うのにいちいち長ーい列に並ぶなんて、とてもやってられない。
前にも書いたが、ファーストフード店のような代金先払いの店で、後ろが列になっているのにメニューを見て迷っているやつを見ると、怒りで全身が震える。
迷っているやつは、後ろでぶるぶる震えている男がケンシロウでなかったことを、天に感謝すべきであろう。
どうしてこう並ぶのが嫌いなのかと自分でも思うのだが、「我慢のできない子」であることがひとつなのだろう。
小・中学校時代は、授業中、じっと机についていることが苦痛で、今で言う学級崩壊の先駆者であった。僕の後ろに道は出来る。
しかし、それだけが理由ではないようで、自分が原因で列ができてしまうのも苦手である。
並ぶのも、並ばれるのも嫌なのだ。
わたしはひどく不器用で――不器用というより、ほとんど指に障害があると言ったほうがいいほどなのだが、財布から適切なコインをつまむ、ということがなかなかできない。
百円玉をつまもうとして、十円玉をつまんでしまう。あるいは、2、3枚一緒に挟んでしまうことも多い。
薄くて小さい一円玉を取り出すなんて、高等技術に属する。成功すると、自分で自分に拍手してしまうくらいだ(そのせいで、せっかくつまんだ一円玉を落としてしまうのだが)。
レジの前でコインをつまむのに四苦八苦していると、後ろに列ができてしまうことがある。焦る。焦ると、なおさら指が言うことをきかなくなる。
なので、列ができそうになると、お札で払ってしまうことが多い。しかし、それで万事オッケーといかないのが、この世の思うにまかせぬところだ。
渡そうとしたお札を落としてしまうのである。
おまけに、お札は紙だから、ちょっとした空気の流れでも飛んでいってしまう。
列を作る元凶となっておきながら、お札を追いかけるときの恥ずかしさと申し訳なさ。ああ、はれ、と嘆息してしまう。
ようようお札をつかまえてレジで払っても、返ってきたおつりを落っことすのだから始末に負えない。
並んでいる人の足下に転がったコインを拾うときなんぞ、二重の意味で土下座である。もう踏まれても仕方ないかな、と思う。
まあ、要するに人間がやけに小さいということなのだが、何とも不自由な出来上がりではある。
あれだな。たぶん、すんげえ金持ちになり、お札を落としても、ワッハッハ、拾った者につかわす、と、次のお札を出すようにすればいいのだな。
それか、店ごと、買っちゃうか。
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今日の嘘八百
嘘百八十 ゴルゴ13は小学校時代、朝礼で列の後ろに並んだやつを全員射殺してしまったことがある。