させていただく

「させていただく」という言い回しに違和感を覚える人は多い。評判があまりよろしくない割にはよく使われる。

 たとえば、「私から一言ご挨拶させていただきます」「そのようにさせていただきます」「少し考えさせていただきます」などと言う。こう書いてみると、相手を立てるように見せかけながら、実は一方的な発言に思われる。逆に言うと、一方的な発言を、相手とカドをたてないように丸めているとも言える。そういう機微がみえみえになると違和感を覚えるのだろう。

「いただく」は謙譲語で、へりくだった表現である。相手より自分のほうを落として語るわけで、落としていると見せかけて一方的なので、いわゆる慇懃無礼な感じがするのかもしれない。

 この「させていただく」という表現、いつ頃から登場したのだろうか。割に古い気もするし、しかし蔓延するようになったのは割と最近のような気もする。きちんと調べると面白いかもしれない。

 先に「相手を立てるように見せかけながら、実は一方的な発言」と書いたけれども、おれはこの「させていただく」を使うときには別の心理も働いているように思う。「いただく」は謙譲語で、相手に対してへり下っていると解釈するのが普通だが、一方で世間様に対してへり下っているようにも感じられるのだ。「いやいや、私のような小者が挨拶するなど、世間様に対して申し訳ないのだが・・・」というような心理が働いているのではないか。

 そう考えると、政治家が「させていただく」という表現を多用するのもよくわかる。何せ、世間様からの攻撃をいつも気にしなければならない立場の人々であるからして、「世間様に対して誠に恐縮なのであるが、エッヘン、こういうことにさせていただくのだ。選挙で落とさないでね」という心持ちが政治家の「させていただく」という七音には込められているんじゃなかろうか。