指と自分

 木曜に、ギンザ・グラフィック・ギャラリーの佐藤雅彦+齋藤達也「指を置く」展に行った。
 佐藤雅彦さんは有名なので今さらあれだが、かつて数々のヒットCMを飛ばした元CMプランナー/メディアクリエイターで、今は芸大の教授も務めている。名前を知らなくても、「ドンタコス」や「ポリンキー」、「ジャンジャカジャーン」、「バザールでござーる」のCMを覚えていらっしゃる方は多いだろう。「だんご三兄弟」の作詞家であり、NHKピタゴラスイッチの監修者でもある。日本の天才のひとりである。
「指を置く」展は、線画調のイラストの上に指を置いたとき、自分の認識がどのように変わるかを自分で観察してみる、という不思議な展覧会である。おれの文章力ではうまく内容を伝えられないので、こちらをご覧いただきたい。

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→ ギンザ・グラフィック・ギャラリー 会場写真

 ご一緒した佐藤卓さんが佐藤雅彦さんと旧知の間柄(というか、戦友だろうか)で、佐藤雅彦さんが卓さんを案内なさったおかげで、ついてまわったおれもご本人による作品解説を間近に見聞きできるという非常に贅沢な体験をさせていただいた。
 佐藤雅彦さんによると、手の指というのは自分を認識するうえで重要な役割を果たしている。例えば、魚は自分の体を見ることができず、おそらく自分を認識する機会がほとんどない。しかし、人間は指を目の前で見たり、何かを指差したり、指で何かを行うことによって、「自分」という存在を認識する機会を得ている。赤ちゃんには、やたらと自分の手を眺めながら指を動かす時期があるが、あれが自分というものを初めて認識し始めるときなのではないか、とのことだった。
 それでおれは生後六ヶ月の甥のことを思い出したのだ。正月に実家に帰ったとき、妹が息子を連れてきた。「カズくん、最近、手を発見したのよ」と言う。何のことか聞くと、このごろ、やたらと手を観察しているんだそうだ。自分の思った通りに動くし、変な形をしているし、先っぽに変なもの(爪)がついているし、なめるとおいしいし、これは何だろう、と考えているらしい。赤ちゃんが「手を発見した」という言葉におれはそのときちょっと感動してしまったのだが、あれは手を発見すると同時に、実は、自分を発見するという人間としての一大イベントでもあったのだ。
 人間が指で最初に自分を発見するとすると、たとえば、乙武洋匡さんの場合、どうやって自分を発見したのだろう(もっとも、男の場合は手足の他にもう一カ所突出している場所があるが、ここでは不問に付す)、などといろいろ考えが膨らんでいくが、まあ、馬鹿の考えなんとやらなので、ここらでやめておく。
 ともあれ、「指を置く」展は2月いっぱいまでやっているので、この手の話が好きで、銀座に行ける方はぜひどうぞ。面白いです。