秋葉原と祖父

 相変わらず、土日は自転車で都内を徘徊している。
 おれの家から上野方面へ向かおうとすると、中央通りを行くのが最も平坦で早い。
 途中、秋葉原を通ることになる。ここがおれにとってなかなかの心理的難所なのである。
 万世橋を抜けたあたりのビルの壁面に、巨大なロリコン少女の絵があってこちらをにらみつけてくる。いわゆるツンデレというやつであろうか。その横に、内股になって、わざとらしく「テヘッ」と舌を出しているロリコン少女の絵がある(そんな表情、おれは四十七年生きているが、現実世界で一度も見たことないぞ)。ここらへんですでにもう勘弁してくれ、という心持ちになる。さらに進むと、ひらひらフリルのついたメイドのいらっしゃいませ写真だの、アニメ風の絵だの、何か知らんが「でしょ!」風に指を立てている少女絵だのにあっという間に取り巻かれる。こちらは、わちゃ〜、という気分で、その感覚をあえて表現するなら、歩いていてぐにゅっと何かを踏んだので靴の裏を見たら、犬のうんちがべったりついていたような感じである。
 なるべくなら目をそむけたいのだが、車道で目をそむけてクルマに轢かれたら、死に場所が秋葉原ロリコン少女絵の前となりかねず(しかも、「でしょ!」風に指を立てられたら浮かぶに浮かばれず)、それも無念なので、なるべく前だけを見て、息を止めて走り抜けることにしている。
 それにしても、秋葉原を通るたびに、ひどいことになっておるナァと思う。妄想を現実化した、というより、妄想を妄想化しているという具合で、日本の文化も凄まじい地点まで来てしまったものである。
 太平洋戦争のとき徴兵にとられて南方で死んだおれの祖父さん(撃たれたのか、爆死したのか、飢え死にしたのか、伝染病にでも罹ったのか、下痢で体力を消耗したのか、はたまた輸送船が沈められたのか、全く不明である)が今の日本の秋葉原を目にしたら、どう感じるだろうか。七十年後の日本にこんな光景が現出するとは、全く想像できなかったろう。もっとも、今の世に生まれていたら案外萌えていたのかもしらんが。