動く物に顔を見出す習性があるのか

 昨日のブログの最後に、なぜロボットに顔を付けたくなるのだろうか、と書いたが、これはロボットに限らず、他の製品にもまま言えることのようだ。

 例えば、クルマがそうで、たいていのクルマはライトを目に見立てた顔に見えるようなデザインになっている。ラジエーターなどが鼻や口に見えるよう仕立ててあるクルマも多い。フロントのライトは、例えば、左右と真ん中に置いて3灯方式にしてもよさそうなものだが(満遍なく照らすには案外いいのではないか)、あまり見かけない。三つ目に見えるのが、ちょっと気味悪いせいだと思う。

 クルマよりさらに機能的要件の厳しい飛行機もそうで、たいていは操縦席のガラスが目に、先端部分が鼻に見える。ステルス戦闘機のような機能だけで形状が決まるような飛行機でも、顔を持つ。まあ、設計者が顔を意識しているかどうかはわからないが、見る側には顔を見出したいという欲求があるのだろう。あるいは、昔のアメリカの戦闘機みたいに顔をペイントするケースもある。

 船もそうで、艦橋の部分が顔になったり、あるいは昔の帆船のように女神像や竜を船首に付けたりする。

 どうやら、我々には、自ら移動する物には顔を付けたい、あるいは顔を見出したいという習性があるようだ。原野を走り回って、動物を追いかけたり、追いかけられたり、転んだり、パンツが脱げたりしていた太古の記憶がDNAに刻まれて――いるんだかどうだか知らないが(その手の安易なDNA話はギワクのマナザシで眺めておいたほうがよいとわたしは思っている)、動く物≒動物≒顔がある、という認識が、わたしらの頭の中にはがっちり食い込んでいるようである。


F-117 ナイトホーク ステルス攻撃機


ビートルが売れたのは設計思想ももちろんだが、顔によるところも大きいんじゃないか?(Author : Nico Biraogo from Cabuyao, Philippines. Some rights reserved.