漢字廃止論

 普段はこうやってキーボードで文章を書いているが、最近、手書きで文章を書く機会があった。ひさしぶりに手書きで書いてみると、時間はかかるし、手は疲れるし、おまけにヘビがのたくったどころか、カイチュウが痙攣を起こしているような文字で、自分ですら判読不可能な文字がある始末だった。

 明治以来、漢字廃止論、ローマ字論者、カナ書き論というのが根強くあったらしい。子どもが漢字習得に費やす時間が膨大である、漢字があると事務効率の点で欧米と比べて甚だ不利である、というような主張だ。

 漢字仮名交じり文を激しく愛しているわたしは、ローマ字論について「この合理主義者の馬鹿どもめが」と思っていたのだが、いざ自分が手書きで漢字をのたのた書いてみると、「これは確かに大変だよなあ」と実感したのであった。例えば、「機密性と体温維持機能に優れた防寒具」などと手で書くのは、随分と骨が折れる。数時間もすると、大してはかがいかないのに、くたくたになる。昔の文書仕事をする人は、1日中こんなふうに仕事していたのだろうか。「明治大正の事業家が漢字廃止論を唱えたのもわからんではないわなあ」と、紙の上でカイチュウを痙攣させつつ、思った。あ、この「痙攣」てのも、手書きだと大変ですよね。

 悪評が多かったらしい終戦直後の当用漢字(今の常用漢字の原型だが、もっと強制的だったようだ)の制定も、当時としてはそれなりに切実な問題だったのだと思う。

 パソコンが普及したことのメリットはいろいろあるだろうけれども、日本では一番には漢字を書く手間を減らした(変換があるので、手間をなくしたとまでは言えない)ことにあるんじゃないか。キーボードに慣れてしまうと、そのありがたみを全然意識しなくなるんだが。