濁音は、言葉の響きに力強さやスパイス的な刺激を与えるらしい。
例えば、かの敏腕スナイパーは、
だからこわもてするのであって、あれがもし、
コルコ13
であったら、随分と軽くなってしまう。報酬の相場も3割減といったところだろう。ちなみに彼の自称・他称は、
テュークとうこう
である。
あるいは、ベトコンは「ベトコン」だから手強そうなのであり、あれが例えば、
ヘトコン
では、何やら疲れ果てているみたいである。
自分と同じ人物が目の前に現れると死ぬという例の現象は、
と畳みかけるような濁音使いで、いかにも怖い。
トッペルケンカー
では、いかんのである。
ドッペルゲンガーはドイツ語だが、どういうわけかドイツ語には、日本語表記したとき、濁音の力強さを持つ言葉が多いように思う。
とか、
ベートーベン
とか、
とか、いろいろある。ドイツの力強さの源は濁音にある――とまで言うとあまりに言いすぎだが、ドイツ語の力強い響きの一因は濁音にあるように思う。やはり、
マイスターシンカー
ヘートーヘン
ケセルシャフト
では、今ひとつ弱いのだ。シャフトを消してどうしようというのか。
とまあ、書いてきたが、濁音、つまり「゛」の付く文字・音節という認識は日本語だけのものだろう。してみると、濁音的な響きが力強く感じられのは日本語だけの特殊事情なのだろうか。それとも世界的にそうなのだろうか。例えば、欧米語ネイティブの人にとっても、「G」「Z」「D」「B」「V」の入る言葉は力強く感じられるのかしらん。COLCO13よりGOLGO13のほうが怖そうなのかしらん。