先々のこと

 わたしは、私鉄沿線の商店街のそばに住んでいる。


 自宅で仕事をしているということもあり、昼間によく商店街をふらふらする(よろけてるわけではない)。


 昨日もふらふらしていたら、小さな電気屋の前に、大型液晶テレビの段ボール箱が2つ重ねてあった。売れたのだろうか。


 駅ビルには大型電気店が入っている。いろんな液晶テレビを比較して買うなら、そっちに行ったほうが便利だろう。


 店の人には少々申し訳ない言い方だが、今、商店街の小さな電気屋で、大型液晶テレビを買う人はどのくらいいるのだろうか。
 たいていの人は、商店街の電気屋で物を買うとしても、切れた蛍光灯の補充とか、電池とか、そのくらいではないか。


 その小さな電気屋で大型液晶テレビが2台売れたのなら、結構なことである。しかし、店先に展示するものか、言葉は悪いが、あるいは見せ金の類だったのかもしれない。


 先々のことはわからない、と思う。


 わたしが大学を卒業したのは二十年近く前だ。


 バブルの終わりの頃で、金融機関への就職人気は高かった。
 中でも、高収入、安定と思われていたのが、興銀、長銀日債銀の、長期信用銀行御三家で、馬鹿と怠惰を足して5掛けたようなわたしなぞ、ハナから入れるものでなかった。


 今は、合併したり、破綻して売却されたりして、三つともに形を変えた。無くなった、と言ってもいいかもしれない。


 大学の先輩に、郵政省に入った人がいた。
 その頃はNTTやJRが民営化されて(お若えの。昔は電電公社国鉄という公社だったのだよ)間もない頃で、その先輩に冗談で「郵便局も民営化されたりして」と言ったことがある。


「いや、真面目にその可能性があるから、今、上の方では必死に押しとどめているみたい」
 と、その先輩は言った。


 意外だった。その頃は、郵便局が政府の機関でなくなるなんて想像もできなかったのだ。
 今で言うなら、保健所を民営化します、というくらい、考えにくいことだった。


 その先輩、今は総務省にいるのか、郵政公社にいるのか。それとも、スピンアウトでもしたか。


 先の、街の電気屋も、テレビが普及しだした頃や、クーラーが普及しだした頃にはだいぶ儲かったのではないか、と思う。アンテナ立てたりなんだりは、街の電気屋の仕事だったし。


 別に、街の電気屋でもっと物を買いましょう、と主張したいわけではない。


 物事はハネて、ハネて、意外なところに、あれま、と、跳ね返る。今、鉄板ガチガチ、このままずっと続くように思われている商売だって、少し先にはどうなっているか。


 商店街を歩くと、薬屋と床屋・美容院がやけに多い。


 しかし、これらの商売だって、先々はわからない。
 なんてことを書いているおれが一番わかんないんだけどね。

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「今日の嘘八百」


嘘五百三十四 亀は、休んでいたウサギを抜いて、先に目的地に着いたが、疲れ果てて虚しさだけが残ったという。