古池や蛙飛びこむ人助け
以前に作った、というか、もじった句である。結構、気に入っている。
助けられるかどうかはともかく、えれえ蛙じゃないか。
松尾芭蕉には、有名な「一家(ひとつや)に遊女も寝たり萩と月」という句もある。
「遊女も」と「も」にしているところから、芭蕉先生が遊女とけしからんことをしたわけではないとわかる。
これを「一家に遊女と寝たり萩と月」とすると、遊女との距離がだいぶ近づく。くっついてしまったかもしれない。ああ、奥の細道。
生々しくなって、句としてはだいぶダメのほうに行くのだろう。
もっとダメにするなら、
一家に遊女と寝たりして萩と月だったりして
とまあ、谷岡ヤスジだったりして。鼻血ブーだったりして。
先の「遊女も」がいい例だが、俳句は一音違うだけで句の印象が変わる。
例えば、「むざんやな甲(かぶと)の下のきりぎりす」という芭蕉の句があるが、
むざんやなあ甲の下のきりぎりす
と、「あ」の字をつけただけで、関西の人が詠嘆しているふうになってしまう。
むざんやな甲の下のマッチ売りの少女
あの子は元々可哀想な子か。無残の二乗である。
辞世の句。
旅に病んで夢は枯野でかけゴルフ
よほどニギるのが好きな人だったのだろう。ちょっと風刺の気味が入って、下品になった。
フィニッシュに失敗した。
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「今日の嘘八百」
嘘五百三十五 昨晩、五千年の夢を見た。