夢の中で、ハッハッハ、と人に笑われた。
目を覚ますと、目覚まし時計が、ピッピッピ、と鳴っていた。
とうとう目覚まし時計にまで笑われるようになったかと思うと、無念である。
夢というのは面白いもので、こういう「ピッピッピ」が「ハッハッハ」になるというのは何なのだろう。
耳に聞こえている音を、眠っているもんだから脳味噌が、「笑い声にでもしとけや」とテキトーに処理するのだろうか。
よく見る夢というのもあって、年齢によって変わるようである。
小学生時分には、何者かに追いかけられる夢をよく見た。
なぜか毎回、クライマックスは小学校の下足箱のところで訪れる。
下足箱がいくつも並んでいるものだから、隠れたと思っては相手がひょいと顔を出し、恐怖が増すわけである。サスペンス映画にもあるパターンだ。
しかし、その追いかけてくる“何者か”とはいったい何者だったのだろう。今となっては思い出せない。
案外、「宿題」とか、つまらないものだったりして。
道路脇の溝にはまる夢というのもよく見た。
歩いていて、体がふわっと浮いたようになる。
「あや?」と思ったら、次の瞬間、溝に片足はまっているのである。
まあ、当時は挙動不審、落ち着きのないガキだったから、実際、よく溝にはまっていた。写実的な夢ではあった。
大人になってからは、どこかの街をうろつく夢をよく見た。
時々、電車に乗ったり、飯屋に入ったり、家に帰ったりしつつ、ただただうろつくのである。
バリエーションとして、次に住む家を探す、なんてのもよくあった。
最近は、その手の夢を見なくなった。理由はわからない。
下手にこういう夢の話を書くと、あっという間に精神を分析されてしまうのだろうか。
ヤマシイ記憶とか、ヨコシマなもくろみとか、果てはパンツの中味までバレてしまうのかもしれない。
あるいは、アメリカの映画によく出てくるカウンセラーの人みたいに、
「ジョージ、あなた、心の奥では罰を受けることを望んでいるんじゃないかしら?」
大きなお世話である。
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「今日の嘘八百」
嘘五百三十六 五千年の夢を見た。紙に「五千年」と書いてあった。