モスクワ市民が話をしている――。
「いいニュースと悪いニュースがある」
「いいニュースは?」
「ブレジネフが失脚したそうだ」
「悪いニュースは?」
「誤報だったそうだ」
「ブレジネフ」のところには、アンドロポフだったり、チェルネンコだったり、その時々の共産党書記長の名前が入ったらしい。
このジョーク、別に旧・ソ連に限ることはなくて、高圧的で評判の悪い政治家の名前を入れれば、他の国でもイケるだろう。
あるいは、会社で、「失脚」を「左遷」にでも変えて、「ブレジネフ」のところに嫌いな上司の名前を入れるのも、楽しいかもしれない。
これを読んでいるサラリーマンのミナサン。明日は土曜日。こじんまりとストレス発散して、今日一日を何とか乗り切ってください。
ジョークからは離れて、同じひとつのニュースだって、よくも捉えられれば、悪くも捉えられる。
例えば、政治家が政治資金を誤魔化していた、なんていうのは、悪いニュースのようだけれども、それがバレた、あるいはちゃんとバレるような社会に自分が住んでいる、と考えれば、結構なことだろう。
あるいは、食品メーカーがコロッケの原材料名で豚を牛と偽っていたのは悪いニュースだが、その程度のことがトップニュースになる、なんていうのは、のんきでいいことのように思う。
先日の航空機爆発炎上だって、爆発炎上は悪いニュースだが、間一髪で乗客乗員が全員助かったのは、まあ、いいニュースといえないこともない。
ただし、競争が激化し、生き残りを懸けてしのぎを削っている航空業界では、ちょっと事情が違うかもしれない――。
ある航空会社での会話。
「いいニュースと悪いニュースがある」
「いいニュースは?」
「中華航空機が爆発炎上した」
「悪いニュースは?」
「乗客乗員が全員無事だった」
自分がやたらとジョークのネタにされていることを知ったブレジネフが、赤の広場で国民を前に演説した。
「同志諸君よ! 我が国にジョークは必要ない。なぜなら、この国の存在自体がジョークだからだ」
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「今日の嘘八百」
嘘五百二十五 ロシア人に言わせると、ブレジネフの最大の功績は、ロシアに膨大なジョークのネタをもたらしたことだそうだ。