ニュートンとリンゴ - 2

 例えば、次のジョークを読んでいただきたい。

 太った身なりのよい紳士が高級レストランでディナーを食べた。食事をゆっくりと楽しんだ後、高級ブランデーのグラスを手の中で揺らしながら、紳士は給仕長を呼んで、言った。
「僕を覚えているかね? 3年前の今日、僕はこの店で今日と全く同じ食事をして、でも金がなかった。君は僕を店の裏につまみ出して、まるで乞食か何かのようにどぶに蹴り込んだね」
 冷や汗を拭きながら、給仕長が答えた。
「覚えております……まったく何とお詫びを申し上げてよいのやら、私には」
「いや、それはもういいんだ」と太った紳士が言った。「それより、悪いけど、もう一度あれをやってくれないかね?」

 あるいは、こんなのもある。

 橋の上で男がもぐもぐつぶやいていた。「27、27、27、27……」
 不思議に思った人が男に尋ねた。「あの、失礼ですが、何をしてらっしゃるんですか?」
 突然、男は彼を羽交い絞めにして、橋から川に投げ込んだ。ドブーンという音を聞きながら男が、
「28、28、28、28……」

 おれは、ジョーク・小噺を聞いて人が笑うのは、頭の中で突然回路がつながって、電流(か何かそんなようなもの)が瞬時に流れるからではないかとニラんでいる。上の例で言うと、最初のジョークでは、読者はある種の期待を持ってストーリーを読む(一文無しから大金持ちへ、過去への復讐;モンテクリスト伯)。しかし、最後に来て見事にひっくり返される。二番目の例では、途中では男のつぶやきの意味がわからないが、最後に来て答がわかる。どちらの例でも、「意外性」が作用していて、「意外」かつ何らかの「筋」が通っていることが笑いにつながるのだと思う。人を笑わせるには「意外」なだけでもダメで(稲本は実はとてつもない美男子である、と聞いたって、別に爆笑しないでしょう?)、「筋」が通っているだけでもダメである((a+b)^2=a^2+b^2+2abという数式を見て爆笑するやつはめったにいない)。
 他のジョークや小噺も検討してみていただきたい。おそらく、何らかの意外性と筋・合理性が作用しているはずだ。これすなわち、頭の中で突然回路がつながって電流が流れる、ということである。構造としては推理小説と似ている。

 先週書いたニュートンとリンゴの話が人口に膾炙しているのは、リンゴという禁断の木の実が出てくること、それから頭の中に突然電流が流れる瞬間がうまく表現されていることが理由じゃないかと思う。ニュートンとリンゴの話では、庭でリンゴが木から落ちるのを見て、ニュートンは、リンゴと地球の間に働く力も、天体と天体の間に働く力も同じ原理によると閃いたことになっている。閃いた瞬間、頭の中に電流が流れて、ニュートンは爆笑したんじゃないかとおれは思う。

(リンゴ)ポトッ。
ニュートン「わははははははははははははははははははははははははは」

 何しろ科学史に残る大発見である。どれだけ爆笑したってかまわない。

 ニュートンには先達がいて、アルキメデスがそうだ。逸話によれば、黄金の王冠の純度を調べる方法を考えていたアルキメデスは、風呂に入って、自分の体積分だけ水の嵩が高くなるのを見て、「ユーレカ!(そうか、わかったぞ!)」と叫んだ。あまりのうれしさに服を着るのも忘れて通りに飛び出して、シラクサの街中を走り回ったという。なかなかロックンロールな人である。ストリーキングの始祖はこの人かもしれない。
 おれは、アルキメデスもまた大爆笑したに違いないと思う。

(風呂)ざんぶ。
アルキメデス「ユーレカ!(そうか、わかったぞ!) わははははははははははははははははははははははははは」

 そのまま素っ裸で爆笑しながらシラクサの町を走り回った。何しろ天才である。むしろそれくらいしてほしい。

 しかし、笑い=突然電流説には弱点もあって、例えば、数学の証明問題なんかを解くとき、突然筋道が見えることがある。しかし、そういうとき我々はあんまり爆笑しない。にやり、とほくそ笑むくらいはするかもしれないが、本格的な笑いにまでは至らない。まあ、それはそうで、入試かなんかで、数学の証明問題の答が見えるたびに受験生が「わははははははは」と爆笑していたのでは、うるさくってしょうがない。

 そう考えると――マッチポンプな話で申し訳ないが――笑い=突然電流説にはまだ足りないところがありそうである。「意外性」と「筋」の他に、笑いには何が必要なのだろうか?