拝金主義を叩く側は、しばしば「昔はこんなではなかった」というようなことを言う。すごいのになると、日本人の美徳、なんてものまで出てくる。
さて、どうなのか。
拝金主義、という言葉は景気がよくなると出てくるようである。
わたしが学生〜就職する頃はいわゆるバブル経済の頃で、随分、あれが儲かる、これが儲かるなんて話があった。「財テク(財務テクノロジー)」なんて言葉がよく使われた。
一方で、拝金主義を嘆く声もあって、やはり、日本人の美徳、なんて話が出てきた。日本人の美徳は好景気とワンセットなのかもしれない。
2000年前後の、日本経済の底が抜ける、と大騒ぎしていた頃は、あまり拝金主義をどうこう言う話はなかったように思う。
さすがに直接体験はしていないが、第一次世界大戦の頃も、随分、派手に儲けた人がいたようだ。成金の下品さを叩く風刺画を見たことがある。
拝金主義の蔓延というのはモラル、修身に問題があるように言われがちだけれども、ハテ、そうなのだろうか。
むしろ景気の問題なのではないか、と思う。
景気がいいときは金が出回る。人が簡単にお金を出す状態になっているから、ちょっとしたことでえらく儲かる(人もいる)。
お金が増える、というのは楽しいもので、これは人間のサガなんだと思うが、持っていたお金が倍になれば、今度はそれをさらに倍にしたくなる。せいぜい足し算だった発想が、かけ算になるわけだ。
それを儲かってない人が見ると、拝金主義ということになるんだろうと思う。
拝金主義とされるものは、おそらく、今の時代の人間が腐っているから出てきたものではあるまい。
もしあえて「腐っている」という言葉を使うなら、昔っから人間には腐っている部分があり、景気の悪いときにはそこが引っ込んでいるだけなのだと思う。
それをモラルでどうにかしようったって、そうはいくまい。モラルでどうにかできるなら、バクチなんてとうの昔に廃れている。
「拝金主義」をなくしたいなら、モラルを説いてもしょうがない(優越感と慰めくらいは味わえるだろうが)。
簡単だ。景気を悪くすればよいのである。
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「今日の嘘八百」
嘘四百八 樋口一葉はあの世で自分が五千円札になったと聞いて、「印刷されるより生きているうちに一枚もらいたかった」と泣いているという。