大中小

 大相撲というのはあるのに、中相撲、小相撲がないのはなぜか、という話があって、大根はあれども中根のなきが如し、と今、思いついたが、あんまり気のきいた答じゃなかった。
 今ひとつ、脳が不調である。ま、物心ついた頃からの話だが。


 それはともかく、小相撲、なんていうのは、なかなかインディーズ感があっていい。


 どこかお金のあるとこで、そういう団体を立ち上げないだろうか。「チョップしてもよい」とか、独自ルールをつけて。
 小相撲梅雨場所、なんて、なかなか遠慮があっていいと思うのだが。


 大相撲にしても、あるいは昔の大日本帝国にしても、大きいのは結構なことだ、パッと栄えた感じがしていい、というので、そういう呼び名にしたのだろう。


 あの幸福を科学しているらしい人達のトップ、大川隆法サンも、元々の名前は「中川隆」だそうで、そのままじゃ、教祖としてちょっとねえ、ということだったのだと思う。
 やっぱり、存在をなるべく大きく見せたかったのだろう。