独立系相撲

 今、「相撲の歴史」という本を読んでいる。

相撲の歴史 (講談社学術文庫)

相撲の歴史 (講談社学術文庫)

 古代からの相撲の通史だが、相撲に関する江戸時代以前の史料は案外と少ないらしく、歴史とはいっても著者の推量によるところが多い。
 それはともかく、現在の大相撲に至る流れというのは大きく江戸時代から明治にかけてできあがったようだ。
 江戸時代の力士は多くが大名家から扶持を得ていて、江戸、大阪、京都の三都を頂点として、各地方で相撲の興行があった。それが、「相撲故実」の家と称する吉田司家(追風)が一種の権威付けをし、だんだんと江戸を中心とした興行のシステムに組み込まれ、全国的なネットワークができていった。これが今の日本相撲協会へとなっていったわけである。
 それでふと思ったのだが、大相撲というのは多少の波はあっても基本的には高い興行成績をあげている。相撲取りも幕内以上となると相当な収入を得る。いわばおいしい商売なのだが、なぜにここに参入してくる団体がないのだろうか。独立系の相撲団体というのは、アマチュアはともかくプロでは聞いたことない。
 おれはプロレスや総合格闘技にあまり詳しくないが、それでも団体が数多くあり、できてはつぶれ、つぶれてはできしているくらいは知っている。しかし、相撲にはそうした話はついぞ聞かない。ただ日本相撲協会だけが存在している。
 組織というのは強力な競争相手がないと、次第に腐っていくものだと思う。馴れ合い、団体内の論理が次第にふくれあがり、客商売としてのスルドさが鈍っていく。いわば、よどむ。
「伝統」「神事」なるものにさほど縛られない相撲というのがあったら、見てみたい気がする。
 大会場で、煽りビデオにレーザー、呼び出しのビートの効いた「ひッ・が・し〜、シャイニング・ミカサヤマ!」というアナウンスで、爆竹とテクノミュージックとともに力士が入場する。「にッ・しィッ、スコーピオン・ゲンカイナダ!」。和太鼓とスモークとともに力士が土俵に向かう。気合いの高め合いは、入場とともに始まっているのだ。
 土俵上は闘いのワンダーランド。互いに塩を投げつけあい、ヒールは柄杓から客に水を浴びせ、立ち会いでじりじりじりとにらみあい、時にはアリ並みのビッグマウスが飛び出し、客のコーフンはいやがうえにも高まる。そして、「ハッケヨイ、残った!」。シャイニング・ミカサヤマの飛び蹴り一閃・・・。
 これじゃ、普通の格闘技か。しかしまあ、エンターテインメントを重視した独立系相撲団体がでてきたとき、大相撲側はきっと、いかに自分たちが旧態依然、十年一日のごとき興行形態にあぐらをかいてきたかを思い知らされるだろう。