死ぬことについてはあまり興味がないのだが、いろいろと死んだ後の世界のことを想像してみるのは好きである。
面白半分というより、面白全部の興味であって、真相なんぞどうでもよい。こうかな、ああかな、とあれこれ考えてみるのが好きなのだ。まあ、いつもの癖である。
まず、死後の服装だけれども、あれ、どうなるのか。
日本の古典的な幽霊の姿は、白の経帷子に、頭には三角形のついた鉢巻きみたいなヤツを巻く、と、そうなっている。
あれは、弔いのときの死に装束のまま出てくるということなのだろう。
そうすると、非業の死か何かで、きちんと死に装束をしてもらえなかった場合はどうなるのだろう。
例えば、宴会でヨッパラったサラリーマンが、頭にネクタイを巻いて浮かれ踊りながら川に落っこちた。
そのまま死んじゃって、遺体は見つからず、という場合、頭にネクタイ巻いたまま、あの世へ行くのだろうか。
三途の川を渡るのか、階段を昇るのか、天使に引っ張ってってもらうのか知らないが、いずれにせよ、まわり(死者の同期生)からは随分、間抜けに見られることだろう。
その頃には酔いもとうに醒めてるだろうし、できれば避けたい旅の空だ。かといって、この世に残って化けて出るのも、恥ずかしい。
あの世での年齢、というのも、興味深い。
例えば、わたしの父方の祖父は、南方で戦死した。生まれた年は忘れたが、確か、三十代だったと思う。
一方、祖母は長命して九十歳で亡くなった。
三十代の祖父が向こうで安楽に暮らしているとする。
そこに、九十歳の祖母が「あたしです! 妻です! これからは一緒です!」と涙ながらにやってこられても、祖父としてはいささか困るのではないか。
いやまあ、どうだか知らんけれども。
しかし何だね、「死」という字はじっと見てると、ゲシュタルト崩壊起こして、人があわてて走っているみたいに見えてくるね。
死ラン、死ラン、なんツって。やはり、ダジャレ脳か。
どーも、スイマセン。もう、大変なんスから。とりあえず、体だけは大事にしてくださいよ。あ、帰っちゃダメですよ、奥さん! 帰っちゃダメですよ、帰っちゃ! これからだんだんよくなるんスから!!
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「今日の嘘八百」
嘘三百六十三 不謹慎なことを書いたので、向こうからお呼びがかかっている。