死後の年齢問題

 クリント・イーストウッド監督の「ヒアアフター」を見た。

 

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 見るのは、たぶん3度目だと思う。イーストウッド監督の作品にほとんどハズレはないのだが、これもいい。

 イーストウッド監督の作品には運命を独力で切り開く主人公が描かれることが多い。しかし、「ヒアアフター」では、主人公たちがもがいて動くところもあるのだが、むしろ人から人への思いと温かな救いのほうがより大きく描かれているように思う。前半は暗いのだが、後半はやわらかい。彼の作品には珍しい。

 見た後は快い満足感に浸ったのだが、おれが考えたのは随分とくだらない話だ。

ヒアアフター」では死後の世界がテーマとして扱われる。主人公のひとりは人とふれることによって死後の世界を見ることができる。別の主人公は臨死体験をして、一瞬、死後の世界を覗いた。

 そこで描かれる死後の世界はぼんやりとしているのだが、白い光の中に大勢の人が立っている。どうやら死んだ時の年齢でいるらしい。

 ということは・・・超高齢化が進む日本の死後の世界はおじいちゃんおばあちゃんだらけなのだろうか?

 さらには、これは前にも書いたことがあるのだが、おれの祖母は九十代で亡くなった。祖父は太平洋戦争のとき、南方で三十代で亡くなった。相当に長い時間をかけて仏壇に祈るのだが、祖母の日課であった。

 ということは祖母が亡くなったとき、三十代の祖父は死後の世界で九十の婆さんに「妻です。お会いしたかった。毎日、仏壇で祈ってました!」などと告白されるのだろうか。

 ううむ。祖父としてもいささか困るのではないか。

 いや、よい作品に対して、申し訳ないのだが、おれはどうもアホウなことを考えてしまう。

 まあ、実際のところ、おれはあんまり死後の世界には興味がない。あるともないともわからないし、おれなんぞにわかるわけがないと思っている。逝けばわかるさ、なんぞと大束に考えている。